虚しさを覚える意識のゆくすえ
それを想起するよう呼びかける
あらゆる存在の生まれるところ
目は自分を見ることができない
しかしその見えないものこそが
見ている目の本体であるように
私は永遠を見ることができない
しかし見えないという事実から
それこそが私の本質であること
そうして感受することのふしぎ
懐かしさすら覚えるときの示す
この悠久の意識のかえるところ
ーーー
“それは、
目は目を直接見られない理論
から
推論をすると
私たちの本体というのは
私たちから「見えないもの」である
と
推し量れるからです
私たちは
無や非存在や神や無限や永遠を
見ることが出来ません
ということは、
それらが
私たちの目であり、
私たちの本体である
可能性が
とても高いのです”
宍村一
「存在からの自由」より