日本の桜の名所 夙川にて。
前回の夙川の桜の記事はこちらです↓
お花見へ出かけなくても
どこか歩いていれば
桜を愛でることができ、
電車のなかから見る桜、
大阪のビジネス街の桜。
あちらこちらから、嬉しい気分を
運んでくれますネ![]()
このところ、いろいろ思っていました、、、
昨年は桜を見るとどこでも
涙があふれ、こぼれ落ちるのを
こらえなければならなかったのです
というのは、2年前、
入退院を繰り返していた父が、
亡くなる3ヶ月前のこの季節に母と
夙川の桜並木を歩き、
その後、一週間経たないうちに急遽、再入院。
それが最後の入院でした。
どんな気持ちで桜を見たのだろう?
街で桜が視界に入ってくると
そう思わずにはいられず、昨年の桜は
とても辛かったのを覚えています。。。
夙川へは行く勇気のようなものが持てず
結局、街で遭遇する桜のほかは
見に行くことはありませんでした。
それが今年、夙川で桜を愛で歩き、楽しかった。
ただそれだけで、
昨年とはちがう思いでいる自分を
確認できたように思い
少しばかり清々しかったのでした。
父も、咲き誇る日本の美を
目に焼きつけたでしょうか・・・![]()
人は、その人生で何を学ぶかを決めて
生まれてきて、
死は、その学びを終えた時にやってくる。
と、最近読んだ本に書いてありました。
死は、学びからの卒業なのだそうです。
その考え方の正否はわかりません。
父亡き後から今まで、
私が何度も心のなかで
自分に言っていたことは、
白洲次郎さんのドラマでのセリフです。
「残された人間は、死んだ人間のぶんまで
生きなければならない」
白洲次郎さんじゃなくても
まぁよくあるセリフなのですが^^;
死をどう捉えるか
残された人はどう生きるか。
生きている人にとっての
テーマだと思います。


