昼食は県の方から支給していただきました(感謝)

休憩時間は40分ほどですので、あまり時間に余裕がありません。
昼食は別室なのですが、入ってみてビックリ。
県民評価者の皆さんと専門委員が対面になっているのです。
前方でコーディネーターと専門委員5人が、県民評価者の視線の中で昼食...
さすがにちょっと落ち着きません。
しかも、県民評価人の皆さんが一言も発せず、我々だけが雑談するという状態でした。
昨年はオールスターキャストで机がロの字に並べられていたのですが。
そんな感じであっという間に時間が過ぎてしまい、専門委員の方が参考にと用意して下さった各種の観光パンフレットに目を通すことが出来ませんでした。
さて、午後は観光関連の2事業、私立高校の就職支援の1事業です。
観光関連の事業としては昨年「ニューツーリズム推進事業費」を担当しました。
今年の事業シートを見て、相変わらず何かゴチャゴチャしていてよく分からないな
というのが感想でした。
特に観光関連では「県の立場」というものを非常に考えさせられます。
都道府県が誕生したのは明治時代の廃藩置県の時。
かつては幕府があって藩がありその下に村があったのが。国があり、県があってその下に市町村があるという三層構造になりました。
中山間地を見てみると分かるのですが、いくつかの集落が点在するような形になっています。
昔は、この集落の単位くらいが一つの村だったようで、この程度のコミュニティでは今の市町村のような洗練された統治機構というものはなかったと思われます。
こういう状況では県と村の体力の差は圧倒的で、財政的な面でも県の存在は相当大きかったのではないかと思われます。
ところが戦後の一時期町村合併が盛んに行われ、自治体の規模が大きくなり、さらに平成の大合併で「町村」から「市」が誕生し、静岡県のような大都市圏以外でも、都道府県に迫る財政力や権限を持つ政令指定都市が誕生しました。一方で静岡県からは「村」がなくなりました。
こうなると、「県」と「市町」の力関係はかつてのような差がなくなり、「県」の立場というのが非常に微妙になってきます。
実際に午前中の事業では保健所の業務が県から政令指定都市に委譲され、静岡、浜松両市以外が県のテリトリーになっています。人口で考えると静岡県のうち実に4割が政令指定都市に属することになります。
道州制が語られるのも、こうした流れを考えれば必然なのだと強く感じます。