少し前のニュースで、2世の弁護団が会見していた。
そこで初めて知った。
あれは虐待だったんだと。
「彼らは魂を蝕まれながら育ってきたんです。」って、ある弁護士さんが言ってた。
どんな経験をしてきたかのアンケートに、約500人の2世が回答した結果を報道していたけど、2世3世なんて、500人しかいなかったっけ、って疑問。
少なくとも数千人はいるよね?
鞭はもちろん輸血拒否カードの携帯、学校の友だちとの交友関係や学校行事への参加の制限、高等教育の制限、伝道の強制や集会への出席の強制その他を経験したかどうかなど。
約500人のアンケート結果でも、ほぼ8割から9割が経験した、と回答しているから、その分母が増えたところでそうそう変わらないとは思うけど。
そしてそれらの経験は、第三者から見ると、虐待以外の何物でもないと弁護団は見解を述べていた。
それを聞いて驚いたということは、自分が虐待されてきていたことにすら気付かないほど、抑圧されていたらしい。
だってそれが日常だったから。
蝕まれるってそういうことなのかもしれない。
自分が普通だと思ってきた環境が、実は異常だったことを知らないという異常さ。
だけど。
本当の救済って何なんだろう。
第三者が、どうやって救済するんだろう。
たとえ解散命令を出されたとしても、それを「信仰を試されている迫害」としか認識しない人たちだということを、その人たちに育てられた2世以下はみんな知っているから、もはや何を望めばいいのかもわからない気がする。
親たちを誘導していた組織に対してもそうかもしれないけれど、少なくとも私は、誘導されるがままに自分で考えて決定することを放棄して、組織の言いなりになることを選んだ自分の親に対しては、子どもの人生の選択の自由を奪い苦しめてきたということを認識してほしいと思う。
どれほどの痛みと苦しみと悲しみを、自分の子どもに与えてきたのかという事実を、ただそれを知ってほしいとは思うけど。
きっとそれが一番伝わらないということも、もう知っているから。
なぜって、虐待されてきた方がそれを虐待だと認識していなかったのだから、虐待してきた方がそれを虐待だったと認識するはずがない。
あれが虐待だったと今さら知ったとて、今の私たちにはどうすることもできない。
と思う。
あの頃にそれが虐待だと知ったからといって、その場所から逃げる術などなかった。
生きるためには、どんな虐待を受けていようと、その家に住む以外に方法がなかった。
誰一人味方のいない無力なただの子どもに、何の選択肢があったというんだろう。
ほぼすべてのメディアから隔絶された環境の中で、無力で何の逃走手段も持たないただの小学生が、救いの手を探すという目的さえも奪われていたというのに。
うちの家では、テレビを付けることも、冷蔵庫を開けることも、親の許可が必要だった。
勝手にテレビを付けたり、許可なく冷蔵庫や戸棚を開けて何かを食べようとすれば、途端に親の機嫌が悪くなって、口答えの一つでもしようものなら有無を言わさず鞭を宣告されていた。
それが本当に、日常だったのだ。
そんな状況の中で、外部に助けを求めるなんていう選択肢はどこにもなかったし、助けてくれる親戚とも縁が切れていたから、ただそこに居続けるしか、なかった。
そこで生きていくしかなかったのだ。。