略して ”でろぐ”

略して ”でろぐ”

2017.4.8、惜しまれつつも終了となった着信御礼!ケータイ大喜利で紹介された数々の名作を振り返り、せめて自分の中で風化させぬよう書き記し、あわよくばそれについて意見交換などできればと思いブログを始めました。いつか来る、番組の復活を信じて。

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こんばんは。

6月17日の土曜日、ありがたいことにあってぃさんから招待していただいて、名古屋で行われた愛知県、岐阜県のオオギリーガーの集いに参加させていただきました。

いや~楽しかった。

岐阜のレジェンドあってぃさん、メジャー9段ともやぴさん、メジャー6段あけおめ太郎さん。

愛知のレジェンド半額カーネルさん、海王星人さん、愚者スライムさん、帰ってきたメタボリゴンさん。

神奈川のレジェンドスプリンガーさん。

大阪のメジャー5段茶屋町亭かわにんさん。

愛知のメジャー2段れもんのいれもんさんはお仕事の都合で会えず・・・。残念。

 

豪華なメンバーです。

昼の12時から21時まで9時間(笑)。

もちろん大喜利の話から世間話まで色々話しました。

今回新たに愚者スライムさんと海王星人さんのサインもいただきました。嬉しいなぁ。

 

あけおめ太郎さんが手配してくれたお店が素晴らしく、また天候にも恵まれ、人生初のビアホール体験も。

 

酔っ払ったあけおめさんが小便器で用を足すぼくらに「アヒョー!」と謎の奇声を発しながらカンチョ―するとか、唯一メガネをかけていない半額カーネルさんの、そのアウェーの状況でまさかの「メガネかけたら負け」発言など、色々ありました。

あけおめさんとお会いするのは広島以来2回目ですが、

完っ全に印象が変わりましたね(笑)。もちろん良い方向に。

 

大喜利熱もだいぶ下降気味でしたが、今回の集いでまたムラムラと湧きあがってきましたよ。

ケータイ大喜利が最終回を迎えてから初めて、録画してある過去の映像を観ました。

今までで一番客観的に観れた気がします。

レジェンド・オブ・レジェンドを獲った2011年あたりが、ちょっと自分で信じられません。

以前から思ってたんですよ。「あの頃がピークやった」って。

 

111回放送 第二回レジェンド・オブ・レジェンドに輝いた

(お題)

お金持ちだらけのセレブパーティー。「あいつ、ニセモノっぽい…」

その理由とは?

 

(作品)

「お車のキーをお預かりします。」「えっなんでですか?」

 

その前の放送、110回の最優秀賞を獲った

(お題)

夜中の3時に山下さんから電話が。「今 いうこと?」何と言った?

 

(作品)

やっぱりお前しか考えられないんだよ バンパーのあの傷

 

 

特にこの二つ、頭がおかしいとしか思えない。

結果ウケたからよかったけど、発想が飛びすぎてて怖いです。

当時はめちゃくちゃ自信あった記憶があるから、まぐれでもないんでしょうけど・・・。

謙遜でも自慢でもなく、冷静に考えて自分がこれを作ったとは信じられない感じです。

自分の作品ですが、名作選に書こうと思います。

 

 

また大喜利をやりたくなってきたなぁ。

番組は終わっても、こうして戦友と触れ合う事で何度でも熱は蘇る!

お世話になったみなさんありがとうございました。

またお会いしましょう!

そしてまだ見ぬオオギリーガーとの出会いも、今後の大きな楽しみです。

 

 

 

 

こんばんは。お久しぶりです。

以前アップした熱海旅行のDVD作成に追われ、ブログの更新が滞ってしまいました。

昨日無事に家族に納品。

満足してもらえたようで、一安心です。

これでもう夜中の三時までPCを睨む必要もなくなってホッとしています。

また気が向けば別の記事で上げたいと思います。

 

さて。

いきなり重苦しいタイトルですが。

 

ニュースで見てちょっと持論を述べてみようかなと。

そもそも、体罰ってどういうこと?

 

・体罰(たいばつ)とは、私的に罰を科す目的で行われる身体への暴力行為である(Wikipedia)

 

うん、それはわかります。

ぼくがわからないのは、「体罰」という名詞はどのように使われるのか。

この言葉が出た時点で「悪」として扱われるの?たとえば「詐欺」や「差別」のように。

それとも体罰という言葉自体に善悪の要素はなくて、「いき過ぎた体罰」が問題になっているのか。

 

たぶん後者ですよね。

そうでなければ「暴力」と使い分ける必要もないんですから。

そうであってほしい。

 

ここからは個人的見解です。

まずこの記事の前提として、ぼくは体罰を必要と考えます。

ただし、

①怪我をさせない

②罰だけではなく防止・抑止の効果が得られる

③平等に行われる

これは必須です。

一つでも欠ければただの暴力。

 

小学5年生のとき、教室に「レクリエーション意見箱」というものがありました。クラスメイト全員でどんなゲームやスポーツをしようか、というアンケートボックスです。

たっちゃんという男の子がいました。

普通の子です。誰もたっちゃんを嫌いではありません。

ただ、少し愛嬌のある顔をしていたり、走り方が個性的だったり、いじられることは時々ありました。

ある時、ぼくを含むクラスの男子数人が、たっちゃんの名前を使って意見箱に投稿をしました。

内容は「スカートめくり」「女子トイレ覗き」「下着泥棒ごっこ」など、低レベルなものばかりです。

担任のN先生が授業中に何気なくその箱を手に取り、中身を確認したことがありました。

たっちゃんの名前で投稿された用紙を一枚一枚黙って読んだN先生は、授業の終わりに静かな声で言いました。

 

「他人の名前で書いたやつは放課後教室に残れ」

 

あちゃ~注意されちゃうな~くらいにしか思っていませんでしたが、

放課後ぼくたちはガタガタ震えて涙を流すことになりました。

先生の怒りはすさまじく、蹴られた教卓がものすごい音をたてて吹っ飛びました。その音に驚き集まってきた他の生徒が見ている前で

胸ぐらをつかまれ平手打ちを受けました。

「自分が書いた内容を今すぐここでやってみぃ!」と怒鳴られました。

 

ぼくは今、その先生に感謝しています。

なぜなら、いじめの加害者になるのを防いでくれたから。

その時点では、ぼくらはいじめているつもりなど全くありませんでした。

ちょっとからかっているくらいのつもりで。

もしN先生が体罰を加えずに、人権の話を懇々と語っても、小学生にはわからないのです。

いじめの発端となる行為をしている自覚が無いんですから。

しかしいじめられた側は、一生を左右するほどの傷を負っているかもしれない。

今は負っていなくても、ここままエスカレートすればそうなってしまう。

だから手段を問わず、理由も問わず、強制的にやめさせる必要があったのです。

「先生が怖いからもうしない」で良かったと思うんです。

事実、ぼくは後になってN先生の意図が理解できています。

因みに、殴られた生徒にはたっちゃんも含まれます。

仕返しとして、たっちゃんも他の名前で投稿していたから。

これも先生の愛です。

ここでたっちゃんだけ許せば、またいじめの種になるかもしれない。

一緒に殴られたことで、一種の連帯感のようなものが生まれたのも事実です。

たっちゃんとは高校まで一緒でしたが、良好な関係を保てました。

 

 

こんな意見もあります。

 

桑田真澄

「体罰は必要ないと考えています。『絶対に仕返しをされない』という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか?スポーツで最も恥ずべき卑怯な行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました」

 

この意見にはぼくも賛同します。

だってスポーツで負けたりミスをしたりすることに対して「罰」を与えるのは筋違いでしょ。

ミスを責めることと悪を正すことは全く違うからです。

従って、今問題となっているサッカー部の体罰問題は、顧問が解雇された結果を当然だと思っています。あんなのはただの憂さ晴らしや。

 

 

いじめと体罰は、別の問題ではありません。

密接に関係しているはずです。

 

いじめに関しては、いじめる側が絶対に悪い。

「いじめられる側にも原因がある」?

そうかもしれません。しかしそれを言っていいのは本人だけ。

周りが、ましてやいじめる側が言うことじゃない。

少しでも車道にはみでた歩行者は轢き殺してもいいんですか。

 

怪我をしない範囲で、被害者と加害者を作らないために、公平なやりかたで、愛を持って行う体罰は必要。

それを許せる、むしろ求める世の中になって欲しいものです。

 

みなさんはどう考えますか?

 

 

ぼくが大喜利を始めたのは、たぶん13、4年前。

mixiやったかな。それとも今はなきCURURUっていうSNSやったかな。

それまで大喜利はおろか、雑誌やラジオですらただの一度も投稿などしたこともなかった。

 

大喜利歴については回顧録としてまた後日書いてみよう。

 

なんとなく始めたケータイ大喜利で、自慢するわけではないけど実績は残せたと思う。

経験も少なく、知識もゼロ。

それでも結果を残せたということは、何かしら自分でも意識していない得意なことがうまく作用したんじゃないのかって最近考える。

というわけで、自分が得意かも?と思う事を挙げてみよう。

一応、大喜利に関係しているかも?と思える範囲に限って。

 

得意① 共通点を見つける

これはよく思う。というか、「コレとアレ似とるよね」と言っても共感されないことが多すぎる。

人の声、話し方、仕草、見た目・・・。

物体のフォルム、大きさ、色、動き、存在意義・・・。

音の響き、文章の構成、名称の成り立ち・・・。

 

「あ、これ○○みたい!」って思うことが多い。

しかし共感はされないことが多い。

ぼくにしか見えていない、聞こえてこないことがあるんやろうなって思う。

このことが理由で得意な作業は

・比喩表現

・替え歌(モジり)

くらいかな?

 

但し、味覚と嗅覚は鈍い。

 

得意② 人名を覚える

記憶力は著しく悪いくせに、なぜか観た映画やアニメの脇役のフルネームを覚えていたりする。

一言も話したことのない20年前のクラスメイトの名前を覚えていたり。

これはあまり役にたたない。

 

得意③ 見て記憶する

中学、高校のころは国語・英語が得意で、とくに英語はテスト勉強などしなかったが85点未満を取ったことがない。90点未満も1回だけ。

高校入って一発目のテストで、英語で100点数学で23点を取り先生に呼び出されて「どういうことだ」と問い詰められたっけ。

(あくまでテストの話。まったく喋れない。)

苦手な暗記モノのはずの英単語も覚えるのは得意だった。

人と違ったのは、書いて覚えるのではなく、見る。ひたすら見る。

もしかしたら、文字というよりは画像として捉えているのかもしれない。

だから同じ暗記モノでも歴史とかは苦手。画像として記憶できる範囲を超えてるんかな。

 

これはさきほどの人名を覚えている件と同じ理屈かも。

聞いた情報よりも観見た情報の方が残っている。映画のエンドロールとか。ゲームの攻略本とか。

 

 

逆に苦手なことはなんだろう?

 

苦手① 特定の物を探す

むかしどこかのゲームセンターで、画面にちりばめられた数字を1から順番にタッチするというゲームに挑戦したが、周りが引くくらいできなかった。

今の職場でも「○○マラソン大会用のP-187番のインク探して」って言われるとすげー時間かかっちゃう。

でも「この色に近い色探して」と言われるとすぐに見つけられる。

つまり、自分で答えを出すものは得意で、決まった答えを引っ張ってくるのは苦手。

国語、英語が楽しかったのは自分で答えを作れるからで、数学や科学が嫌いだったのは正答がもうあるから。

「決まった答えがあるなら別にぼくが苦労して出さんでもええやん」ってひねくれた理屈でやる気出さんかったな。

 

苦手② 数字

大っきらい。

 

苦手③ 集中力のコントロール

ケータイ大喜利で一番苦労したのはこれ。

ほんとにどうしようもない。

エピソードはたくさんあるけど、飽きたので今日はここまで。

 

 

いつかこの分析が役にたつ日が来ますように。

頼んだよNHKさん。