春と聞いて何を思い浮べるか。
桜、花粉症、入学、恋のはじまり、まさかまさかの春のパン祭り。
十人十色、様々な春のイメージ。
私の春は、戦いだ。
そう、ポカポカとした日差しがそうさせるのか、頭の中までポカポカしてしまった方々との、熱きバトルである。
自慢にもならないが、私は、彼らと遭遇する機会が非常に多い。
スーパーに行けば知らない老女にかごの中を覗き込まれ、書店に行けば妙に右に傾いたまま歩く青年に後を付けられ、道を歩けば滑稽な格好の老人に「ガウ!」と吠えられる。
こんなことは日常茶飯事である。微笑むくらいの余裕がある。
春は、元々高い遭遇率が2倍に跳ね上がる。
外出の度に遭遇するのはもちろんのこと、1日2回なんてことさえある。
お腹いっぱいである。もうね、お前らは薬かと。1日2回、食後に飲んでくださいね~とかやかましいわ。
どちらかと言うと毒ではないか。気が滅入る。
まぁまぁ、私一人の時に遭遇するならまだいいのである。慣れというのは恐ろしいもので、もうちょっとやそっとじゃ動揺しない、強靱な心臓になってしまった。
問題は、連れがいるときである。
私はともかく、友人たちは慣れていない為、分かりやすいキ〇ガイに遭遇したとき、皆一様に絶句して無言になる。
これはいけない。
香ばしくなっている方々に、話し掛けるタイミングを与えてはいけないのだ。
関わってしまったら最後、店を出るまで、下手をしたら店を出た後も追い回される。彼らとの地獄の追いかけっこは、とても恐ろしい。一度自宅前まで追いかけられたことがあるが、あれは怖かった。こちらが威嚇をしたら、恐れをなして逃げ出したのだが。(猫のようにシャーッ!と威嚇したつもりだったが、どうみても勝俣である。)
類は友をよぶ。
つまりはそういうことなのだと思う。彼らからみたら、私もまた、同族なのかもしれない。
ただ、表面上は割とまともなつもりだし、常識も一応ある(と思っている)。
彼らとは、できるだけ一線引いたお付き合いをしたいものである。
朱に交われば赤くなるって言葉もあることだしね。
桜、花粉症、入学、恋のはじまり、まさかまさかの春のパン祭り。
十人十色、様々な春のイメージ。
私の春は、戦いだ。
そう、ポカポカとした日差しがそうさせるのか、頭の中までポカポカしてしまった方々との、熱きバトルである。
自慢にもならないが、私は、彼らと遭遇する機会が非常に多い。
スーパーに行けば知らない老女にかごの中を覗き込まれ、書店に行けば妙に右に傾いたまま歩く青年に後を付けられ、道を歩けば滑稽な格好の老人に「ガウ!」と吠えられる。
こんなことは日常茶飯事である。微笑むくらいの余裕がある。
春は、元々高い遭遇率が2倍に跳ね上がる。
外出の度に遭遇するのはもちろんのこと、1日2回なんてことさえある。
お腹いっぱいである。もうね、お前らは薬かと。1日2回、食後に飲んでくださいね~とかやかましいわ。
どちらかと言うと毒ではないか。気が滅入る。
まぁまぁ、私一人の時に遭遇するならまだいいのである。慣れというのは恐ろしいもので、もうちょっとやそっとじゃ動揺しない、強靱な心臓になってしまった。
問題は、連れがいるときである。
私はともかく、友人たちは慣れていない為、分かりやすいキ〇ガイに遭遇したとき、皆一様に絶句して無言になる。
これはいけない。
香ばしくなっている方々に、話し掛けるタイミングを与えてはいけないのだ。
関わってしまったら最後、店を出るまで、下手をしたら店を出た後も追い回される。彼らとの地獄の追いかけっこは、とても恐ろしい。一度自宅前まで追いかけられたことがあるが、あれは怖かった。こちらが威嚇をしたら、恐れをなして逃げ出したのだが。(猫のようにシャーッ!と威嚇したつもりだったが、どうみても勝俣である。)
類は友をよぶ。
つまりはそういうことなのだと思う。彼らからみたら、私もまた、同族なのかもしれない。
ただ、表面上は割とまともなつもりだし、常識も一応ある(と思っている)。
彼らとは、できるだけ一線引いたお付き合いをしたいものである。
朱に交われば赤くなるって言葉もあることだしね。