「無限遠点とは、ほかならぬ観測の主体者である「わたし」が存在している位置・・・確かに自分の位置が三次元世界に位置しないと考えるようになってから、見えている<対象>と見ている<わたし>の違いがよく分らなくなる感覚に何度か陥りました。
球体の<中心点・対象>と<球面・わたし>が全く対照的な位置だとすれば、対象側にも必ず反対の自分の質点のようなものが存在するはずですね?」
「はい。存在します。
位置の等化が起こり、主体の位置とモノの位置が全く対称的であるということが分れば、それらの区別が曖昧なものになってきます。
そして、その感覚がさらに進むと<わたし>という自己の位置を身体側ではなくモノ側に置いたとしても何等支障がないのではないかと感じるようになるのです。
そのときの自己の質点の移動作業を位置の交換といいます。」
「・・・つまり、反対側の自己とは、対象として認識されているものと考えていいのですか?」
「そうですね。その認識によって、あなたという自己も認識されています。」
「・・・?しかし、モノ側に存在する<わたし>を一体、どのようにイメージすればよいのですか?
見ているもの自体が<わたし>だと無理やりに思い込むようにするのですか?」
「対象側から観察されているモノ、進化の方向に反転したモノが何なのか見出す必要があります。
それを見出している自己こそ、モノ側に位置する反対の自己です。」
「・・・・・・・対象側から観察されているもの?・・・進化の方向に反転したモノ・・・そんなものあるのですか?」
「はい、自己にとっては、それはモノを取り巻く空間のように見えているかもしれませんが、「反対の自己」にとっては全く違うものとして見出されています。」
「・・・?・・・少しヒントをお願いします(・・;)」
「モノを認識するために重要な要素となっている対象がもう一つありませんか。
その対象こそが反転したモノです。」
「対象を認識するためのもう一つの対象?」
「はい、あなた方が通常、モノと呼ぶものの方から投げかけられてくる意識は、モノの質点側から虚のモノとも呼べる反転したモノを観察しています。
この反転したモノとは、あなた方の精神作用にとっては、なくてはならない働きです。
あなた方のモノの認識とは、その働きがあって初めて意味を持つことができるのです。」
「わたしたちがモノを認識するときとは・・・
これはリンゴ・・・眼で見て![]()
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リンゴだと認識しますよね・・・
リンゴ・・・リンゴ・・・!
わかりました
名前です!対象を指し示す 名前、名称です!」
「やっとわかったようですね。」
「確かに、名前のない物は認識できません。」
「はい、「名」とは光そのものという言い方もできます。「名」にはじまる言葉とは内面に生み出された進化への発露そのものなのです。」
「つまり言葉とは光だということですか。」
「はい、人間を進化へ導くためにオリオンの精神が送り出しています。」
「聖書のありました・・・はじめに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉の命は光であった・・・。」
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