利根川の金は命より重い

発言について考察する。

結論からすると、金は命より重いとはいえない。

福田赳夫が人一人の命は地球より重いと言った様に

これが普通の人の共通認識だ


しかし命について考える

人の命は大きく分けて2つある

人間という動物としての死

そして社会的動物としての死だ。

前者の命の場合

命>金

となる。

これは先ほども述べた。

日本国民であれば、金がなくなって餓死することはほとんど無い

誰かが何か恵んでくれる

ここは北朝鮮じゃない

感謝しよう。

僕らが死を意識するのは、病気とか交通事故とか加齢とか

そんな理由だ。

その死については誰もが皆平等に訪れる

遅かれ早かれ

だからある意味しょうがない。



社会的動物としての死とは

簡単に言えば豊かな生活を送れない人だ

ダメ人間の事だ。

憲法では日本国民は

健康で文化的な最低限度の生活は保証されている

この保証された生活以下になる事は

法的には無い

つまり健康で文化的な最低限度の生活を送っている人が

社会的動物としての底辺であり

それ以下の人は(本人の責めに帰すべき事由がある場合が多いと思う)

社会的動物として死んでいる

と定義しよう

その場合命と金はどちらが重いか

うーん難しい。

でも一つ言える事は

人は、というか俺は

生命的な死より、社会的動物としての死

の方が怖い。

社会的動物として死なない為に

金は最も重要なライフラインだと思う。

だから金がなくなるのは死ぬより怖い

いや、そうでもねえか

よくわかんねえや

でも社会的動物としての死はおかしいか

一旦死んでも復活できるし

そう考えると人生はゲームみたいなもんだ

人生はマリオブラザーズみたいなもんだ