リブログのリブログのリブログのリブログです…もうちょっと、わからなくなってきた(笑)

 

ぬこさんおっしゃるように、ASD傾向があると交渉コミュニケーションってすごく難易度高い。

 

元夫の思考も

>やれって言われたからやる、または、やれって言われたけど嫌!の二択

でした。

 

そこに至るまでの過程は覚えていられないので、やるかやらないかの結果重視主義。

 

ごちゃごちゃメンドクサイ話し合いは耐えられないので、そういうものとして結果だけ伝え、指示した方がすんなり動くタイプです。

 

ただ、あまりにも未知で馴染みがないルール(元夫にとっては生活費折半とか)だと、否定されて拒否反応を起こすので、徐々にさりげなく新しいルールに慣れさせてそういうものだという認識を入れておかないとだめで、その塩梅が難しいところ。

ホント、自閉傾向がある子どもの接し方と同じで手がかかります。

 

自分だけでも精一杯なのに、そんな夫の対応が私にできる訳なく、拒否反応(癇癪)を起こされてびびり、話し合という方法から逃げてしまった私。元夫の母親もわりと元夫から逃げている感じなので、元義母と私は似ているところがある(自己肯定感低い)同じタイプだったのかなあと思う。

 

 

さて、私自身のコミュニケーションスタイルですが、私も父親もASDよりADHD傾向が強いからか、頭が固いところはあるけど、相手の言うことや新しいものもまず見て聞いてみようという志向(新しもの好き)なので、1対1の交渉コミュニケーションはまあまあできる。

 

もちろん、3人以上の話し合や雑談とかになっちゃうと、ワーキングメモリ足りなくてお手上げになっちゃって、私は受け手に徹し、父は話し手に徹するのだけど(笑)

 

 

父親とはよく小中学生の頃、テスト何点以上だったら○○を買う、という交渉をよくしてた。

↑この教育法あんまりよくないですけどね…

 

その他にも何だかんだよく話したり交渉していた覚えがある。

大抵、父が一人でべらべら喋っているだけなのだけど、私が言ったことも一応聞いて返すことはしてくれた。

中身はどうであれ(自分の意見は絶対に曲げない)、討論スタイルの話し合はできていたと思う。

 

そして、私は、話ながらも板書きするみたいに、ノートに記述しながら話し合をすると、論点が逸れないし、断然私に有利にことが運ぶということに気が付いた。

自分の脳内ワーキングメモリが足りないので、ノートを外付けHDにするとめっちゃ効率アップする

 

なので、大抵、私はメモしながら他人の話を聞くし、会議の書記とかは、かなり得意分野。

メモできない話や会議では、速攻で寝るけど。

 

 

そんな私なので、長男と話し合をする時も、自然とメモをとる。

そしたら、先日、「人の話を聞く時はメモをとるなー!」「話している人の目を見て聞けー!」

と長男が元夫の真似をしてキレたw

 

さんざん、元夫に中学体育教師のように圧迫指導をされていたので、長男はそれを真似したのだろう。

実際、長男もワーキングメモリ低いので、長い説教されても全く中身は入らず、メモとかしないと理解できないだろうに…

せめて、日本的に聞く態度だけでもちゃんとさせた方がよいだろうという元夫の考えだった。

なので、長男は全く説教の中身分かってないけれど、早く話を終わらせるために従順アピールをするというコミュニケーションスタイルを覚えた。

 

さすがに、私も長男との雑談や気持ちの話ではメモはしない…

気持ちのやり取りの話をしている時はメモをとるのは失礼だけど、普通に今後の予定とか話し合ではメモを取った方が社会生活では必要なこと。

 

それが、一度、人の話を聞いている時は、礼儀正しく目を見てハイハイと従順に応えることがよい!と元夫にすりこまれた長男は、どんな時でも誰に対してもそんなふうにしなくてはいけないと刷り込まれてしまった真顔

そりゃ、外の世界で疲れちゃうよね〜

 

まあ、ある程度の礼儀正しさは必要だけど、自閉傾向がある子に【ある程度】の微妙なニュアンスは分からない…

本当に余計なこと刷り込んだな元夫よ…という感じです。

 

 

でも、元夫も悪気があった訳じゃなくて、そういう風に自分が指導されてきたのだろうし、自分が叱られてきたことを同じように息子にしただけ…

 

元夫の社会規範は、上の立場の人の話の中身はともかく、やれって言われたら従順にその通りにやらなきゃいけないっていうものだった。

けれど、実際の元夫は、「上の人の話はむかついて聞けないし、やれって言われたけど嫌!」なことばっかりで、でも、従順にやらきゃいけないという社会規範は強くて、それ通りできない自分の弱さを、同じくできない長男に投影して、しごいていたのだと思う。

 

 

こうやって書いてみて、話し合の中身や過程をすっとばして、やるかやらないかの二択しかないASD思考って、日本的なコミュニケーションスタイルの影響もあるのだろうなと思う…

 

ずっと、日本の教育や会社は上意下達方式だったし、話の中身や論理性より、感情に訴えて集団を動かすというスタイルだったから…

 

やっと、最近になって、学習指導要領では、論的思考や創造的(クリエイティブ)な発想や技能が必要とか言い出しているけれど、

今までと変わらない35人クラスの集団主義で、いきなり論理的な思考が培えるとは思えない。

 

 

家庭の中での親子の会話が、相互的なコミュニケーションができるかどうか大きく関わっているのだけど、

うちの元夫みたいな父親は少なくないし…デジタル時代でそもそも親子の会話量は減っているのだろうな…

 

私の父は、他人をコントロールしたい欲求強くて毒親度も高いのだけど、娘と討論スタイルだけど話をしてきたというのはすごいところだと思う。おそらく、それは家系的なもので曽祖父は貧しい地方議員だったらしいので、話し合好きという家庭文化が引き継がれたのだろう…

 

ASD傾向の子どもは、論理的思考が得意な子が多いと思うので、1対1でじっくり対話して、交渉コミュニケーションを身に付けるのが、その後の人生に役立つことが多いかも…

 

今までの、日本的なコミュニケーションに適応しても、大きく変化している時世なので、ASD傾向の子にはデメリットになることが多いかなと長男を見ていて感じました。