3日前から別居生活していた私は逃げ切れるのだろうか?
1月10日 コロナ2日目・別居5日目
まろパパの熱は37度~39度を行ったり来たり
ちなみにワクチンはファイザーを4回接種済
3階の部屋にはちょうどペットカメラが付いたまま
滅多に見ることはないけれど、電話に出ないときの生存確認くらいはできる
急変して死んでたら怖いからね
この日の食事はすべて紙皿、紙コップ。ごみ袋も渡してすべて捨ててもらい3階のベランダに出しておいてもらう。
お粥を作ったけれど、お椀型の紙皿がなく、なんとなくボール型の紙皿に少しだけのお粥。
でも、お粥食べるには使い捨てスプーンが必要。
あるのは割り箸のみ。
引き出しを探したらコンビニのスプーンが1つだけ見つかった。とりあえずそれを付けた。
さ、次から困ったぞ
トイレが3階にはないため、階段に消毒を置き、まろパパ使用前、使用後には手を消毒。
トイレは24時間窓を全開、換気扇も24時間付けっぱなし。
まろパパが通過する階段、廊下、洗面所にある窓も常に開けっぱなし。
トイレは、私が使用の度に使い捨て手袋をはめて除菌シートでドアノブ、スイッチ、レバー、便座ふた、便座を拭いてから使用。そして洗面所の蛇口を除菌してから念入りに手洗い。
もちろんマスクもしたまま。
この、トイレから洗面所の流れを一日に何度も。一番つらいのは夜中。
急にトイレに行きたくなった時に、寝ぼけながらも、まずマスクして手袋して除菌シートを持ってトイレへ。掃除が終わらないとできない
パジャマの洗濯は、着替えた後に洗濯機の中に入れてもらって、翌日それだけ別で洗う。
3人分の洗濯を分けて洗うため、1日三回
まろと、自分の空間だけ掃除機
無症状の為、人に会わないようにまろの散歩(もともと人と犬避けて散歩してるから助かった)
3人分別々のお食事の用意
なんだかテレビ見る時間もなくあっという間に1日が過ぎる
私 まったくの無症状
1月11日 コロナ3日目 別居生活6日目
まろパパは、まだ熱があがったり、さがったり。咳がすごくて喉が痛いらしい。
食欲はあるみたいなので、遅い朝食は紙皿で運びやすい、おにぎり、野菜ジュース、飲むヨーグルト等。紙コップに味噌汁。
私 まったくの無症状
まろパパに胃腸炎の症状が現れることもなく、私も別居生活6日だしこのまま終わるかな?
仕事はすごく気になるけれど、期限があるものは電話でやり取りして、やってもらったし、あとはなんとかなるかなと。
まろパパ部屋で退屈そうなので、ファイヤースティックを貸してあげた。
私は当分テレビを見る時間もなさそうなので。
そろそろ、みんなと、自分の為にも栄養のある物を作らねば。具だくさんの味噌汁を作ってみる。
おっと、紙コップでは無理だ
まろパパも夜には熱も下がり元気になったら、ご飯も紙皿では足りないということで、この日から仕方なく専用のお茶碗、どんぶりを使用。箸は割りばしを継続。
食事が終わったらしばらく食器は廊下に置いたままにして、ビニール手袋をしてキッチンハイターにつけてから、食洗器で洗う。
手の洗いすぎ、消毒で、ハンドクリームがヒリヒリするほどの手荒れ
もう手を洗うのも苦痛。でも洗わないと危険。いつまでこんな生活が続くのか。
手が痛いのと、上下のお世話に疲れてきて、自分にストレスが溜まっているのを感じる。
見えない菌と闘うのが一番のストレス。廊下の空気吸うのも怖いし、トイレもできることなら行きたくない。歯磨き、洗面はキッチンでもできるからいいけど。
この日お風呂に入りたいという、まろパパ。
私は昼間に1人シャワー浴びていたけど。
お湯を溜めて、私が先に入り、まろパパが入り、2日間は菌が残っていそうなので使用禁止。
熱が下がって、元気になったまろパパも相当なストレスを部屋で抱えているよう。
なんといっても、仕事がめちゃくちゃくゃ忙しい時に休むことになったわけだから、その気持ちは今ならわかる。
まろにも会えないしね。お互い、お互いを思いやることができなくなってきて、少しギスギスし始め、電話はやめて、メッセージで最低限のやり取りだけになる。
私も、もうトイレ消毒も、痛い手洗いも、菌が怖い洗濯も、諦めて、コロナにかかった方が二人とも楽なんじゃないか?まろの為にも。と思い始める。
でも、ダメダメ、別居生活6日、逃げ切れそうなのに何を言ってるんだ!!ともう一人の自分が言う。
気を取り直して、トイレ掃除して手洗い念入りにしてリビングキッチンに戻ったら、まろがテーブルの下で何かしてる
キッチンの柵を開けて入り、調理台に置いてあった使用済みキッチンペーパー1枚を盗んで半分以上食べていた
まろにもしものことがあっても、今の我が家の状態では動物病院にすら連れていけない。
激しく怒る私
逆切れした後、リビング横の畳コーナーに敷いてある私の布団に逃げるまろ
私も泣きながら反省。まろを怒りながら、自分のストレスを実感。
1人で旅館(お客様2名だけど)をきりもりする大変さ。要望に応える大変さ。
でも、それ以上に、もう1週間も状況がわからない状態で我慢しているまろの、ストレスの方が大きかったこと。
1月12日 コロナ4日目 別居生活7日目
まろパパ、咳だけ
私、無症状
朝食におにぎり、熱々味噌汁(味噌汁に栄養を詰め込む)を紙コップに入れて廊下に置いた。
まろパパから電話。
味噌汁がぬるい、明日からはいらない!! と怒りの電話
わかりました。とだけ言って電話を速攻切る。
切ってから、キッチンで叫ぶ私
イライラしたら負けだー!!コロナにやられるぞ~!!
ビビる、まろ
もう、私も限界かも(限界はやっ)
ファイヤースティック貸すんじゃなかった~ ← そこ?
イライラしながらも、電気ポット、コーヒー、カップ麺、インスタント味噌汁等ありったけのものを廊下において渡す。(もっと早く渡すべきだった)
コーヒーを飲んだまろパパ
午前中はコーヒーの香りがしたのに、午後から味も匂いもしない!!
電気ポット渡したら、ペットカメラのコンセント抜かれて、生存確認できなくなった。
庭に出て花壇の花を見て気持ちを落ち着かせる。花があって本当によかった。
1月13日 コロナ5日目 別居生活8日目
終わりが少し見えてきて希望の光が見えてきたこの日
まろパパ、咳が出るだけ
私、あれ? なんだか喉が乾燥してる?痛くはないけど。コロナなら痛いって聞くし。
空気乾燥してるから、きっと乾燥だな。
必要最低限の業務連絡以外は、話さないように1日を過ごす。これ以上なにか言われたら私のメンタルが崩壊する。
1月14日 コロナ6日目 別居生活9日目
まろパパの電話で起こされる。
もしもし
どうした?その声は!!
ほんとだ、声が出ない。そして喉が痛い。喉といっても、下の方。肺に近い方が痛い。これは、まずくないか?
2日前に抗原検査キット使ってみたけど陰性だったし。
熱は普段の平熱よりも1度低い35.5度しかない。
胃腸炎でお世話になった病院に、電話して検査してもらえないか、聞いてみる。
熱がないないら、そのまま様子見ればいいのだろうけれど高齢の義母のお世話を続けていたわけだから、はっきりさせたくて。
熱がないと、検査しても反応出ないかもしれないけど、それでもよければということで、病院へ。
この日は雨降り。車で検査するのだけれど、看護師さんが雨に濡れながらずっと外で。
自分の数日の大変さでイライラして、ストレスって言っていたのが情けなくなる。
両鼻ぐりぐり。めちゃくちゃ痛い。しばらくて、看護師さんではなく、お医者さんが防護服着てやってきて、私の車の横に立った。
コロナ陽性ですね。くっきり線出てます
なんだろ、この嬉しさ。
いや、嬉しくないよ、だってあと数日で仕事に行けると思っていたし、9日も別居生活していたから逃げ切れると思っていたし、今からまた8日間休み確定だし。
でも、義母のお世話もうできない~!!
しない方がいいんですよ
鬼嫁と思った方がほとんどだと思いますが、義母は要介護者ではございません。
長くなったので、もう1回だけ続きます。
心がすさんでいる時に見た光景
まろが、私を元気づけるために、タイ焼きを立ててくれていた
泣いたわ~