あの日から…
もうすぐ 2年に
なるんだね
あと 20日
鎮魂の日 となる
そんな思いで
今まで 生きてきた
あの日どうしてた?
あん時は こうで
あーで 酷かったよね‥
ライフライン 全滅
食料 灯油 水
我が家は 家の中は
ぐちゃぐちゃだったが、幸い 自宅で寝起きが できたから
避難所には 行かず
自宅難民と
なったのだ!
…(「_「;)
避難所行かない為
食料 水 は 自ら
調達せねば!!
携帯も充電せねば!!
震災の翌日から
チャリで走った走った
ラジオで市街地は
電気が通ったと
チャリで40分かけて 充電した
2日に一回は充電しに 行ってたなぁ~
途中 食料調達も
しっかりと
( ̄・・ ̄)
電気ないし 暇だから
早寝早起きの習慣になってたしね!!
サバイバルだったね‥
あれから 2年に
今夜の地元ニュースでね 涙した話があった。
3.11 当日
市営バス 全車両
車庫に戻れ…の指令
一台も市営バス
走ってなかった。
なぜなら過去の 宮城県沖地震の時
バスを走らせたら
渋滞 事故 などで
戻って来れなかった
だから 教訓
戻れ… だった!
そして
12日から職員の奮闘 走らせられる箇所 危険な箇所
全職員で確認
ルートを決め走らせた
だが 次の大きな問題
燃料
「市民の足であるバスを 止まらせられない」
そんな中 震災後
13日目に 救世主
なんと 四国愛媛から仙台へ大型のローリーが 来た
「新潟からなら
宮城県に行ける!」
「私達が 助けられました。日本人なのに何もできない。しかしやれる事があった ありがとう…と
笑顔で… こちらが
元気 もらいました」
と 涙しながら
話をしていた 所長さん!
ありがとう!!
私も市営バス
使ってました!
陰で こんな話が
沢山あるのでしょうね‥
あれから 2年
まだ 2年
でも 生きている
だから 毎日を
笑顔で元気に
それが 私達に
できる 1つの
ご恩返し

ほんと
心から ありがとう