韓国に戻ってきました。



台風11号の影響はぎりぎりセーフで受けることなく

無事帰れたことを有難く思います。



帰ってきてみれば蓮畑は満開で

私たちを歓迎してくれてるようでした。







日本に行く前に父の初めての命日を迎えるにあたって

サモニムに命日をどんなふうに過ごすのが良いのか聞きました。



日本では一回忌としてお坊さんを呼んで済ませましたし、

韓国では毎年亡くなった命日に家庭で祭事を行いますが

私たちの場合亡くなった人の命日をどんな風に過ごすのかと

初めて関心をもちました。





「 お父さんが好んで食べておられた物を作って

  一緒に食べるとよいそうですよ。


  特別な物ではなく

  普段から好んで食べておられた物を。 」





そうアドバイスを受けて日本の母にもメールで知らせました。

母は良い話を聞いたねととても喜んでくれました。

丁度スーパーで瓜を見つけて買ってきて仏壇に供えたのだそうです。



父と母が韓国に来てくれたときに食べたチャメ(瓜)を思い出したのだそうです・・・。

その時は、今では日本で余り見かけることがなくなった瓜を

懐かしそうに食べていた両親を思い出します。




私は父の好んで食べていたものを思い出すと

高校卒業まで一緒に暮らした時までの記憶しかないもので

カレーパンとかホットドックとか桃のネクターとか・・・。

好きなものはいつでもどこに行っても同じものばかり食べる父だったから

そんな記憶が残っていて(帰省して妹と確認したらやっぱり同じでした!)



こちらでも準備できるチャメとネクターっぽい物を買ってきて

家族で食べました。

父の思い出話や私の子供の頃の話をしながら。



亡くなってから逆に近くに父の存在を感じます。

以前は国境を越えて国を超えなければ会いに行けないという

切なさを感じていましたけど・・・。






日本から戻って来て3日後には旦那さんのお祖父さんのチェサ(祭事)がありました。

韓国ではお供えのお食事は家庭ですべて準備します。

昔のご馳走と言ったらいいのか、ご先祖様が好むお食事です。



そして夜遅くから始まります。

終わった後は皆でそのお供えを食します。

夜の12時を境に亡くなった方が戻って来ると聞いたことがあります。



嫁は私一人で昔はそういう様々な準備などが大変でしたが

もういつの間にか何の苦でもなくなり

先祖に侍ることが当たり前・・・という感じになりました。



何といっても年老いた父母様が頼りにしてくださっているし

子供たちにとっても先祖に侍り父母様の願いに答えることが

親孝行であるという姿を自然に見てもらえる機会でもあると思います。





いつものようにチョルをしている私たちの側でおとうさんが

話しかけておられました。

孫たちの健康や、子供たちの仕事が上手くいくように助けてあげてくださいとか・・・。



祈っているのでなく

まるで見えているかのように向かいに座っておられるかのように

静かに話しかけられる姿はとても心に染みました。








そして昨日は真のお父様の聖和2周年でした。

父の命日、そしてハラボジの命日の次の日でしたので

静かに思いをめぐらせました。



いったい私はお父様が生前どんな物を好んで召し上がられたのか知っているのか・・・。

親子の間柄だよと言ってくださった私たち食口。

子供としてどうなのかと。



韓国食を好まれテンジャンク(韓国の味噌汁)など話は聞いた記憶がありますが

私なりに娘としてお父様の聖和の日に準備しようと思い

圧力鍋で作れるヤクパプ(薬飯)を作り

家族でお父様のお話をしながら頂きました。







この1年私の頑張れることを限界に近いくらい頑張ってきましたが

これから一年は更に私にできることを探して頑張ります・・・との

思いもかみ締めながら。






















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