郵便配達は2度ベルを鳴らしてダッシュする -7ページ目

郵便配達は2度ベルを鳴らしてダッシュする

主に映画について書いていますが、
それ以外にも
アホホーんなお話をします。ええ。

コタツで屁をこきながら
みかんを食いまくり、
あっというまに年があけて
正月休みが終わってしまった、
サラリーマンの皆様!
明けましておめでとう!
どうもわしじゃ!

今年こそ流行らせような!
「アホホん」を!

サラリーマンの皆様はこれからまた毎日、
いろんな匂いが充満する
あのキツーイ満員電車が待っていると思うと、
つらいかもしれんのぅ。
しかし、わしのブログを読む素晴らしいセンスをもつ
変態良い子ちゃんのみんなには、
きっといいことがいっぱい待っとるど!

わしの年末年始がどうだったかといえば、
ほぼフル稼働でPCの前に座って、
仕事をしておったど。
しかも1日12時間以上はな。
おかげで、年末年始で休日は1日という
アホホんな生活だったのじゃ。素晴らしいですな!

そんなわしでも、
さすがにちょびっとは休みたいため、
過密なスケジュールの中、
一瞬、実家に帰って、
姪っ子にバイト先の洋服屋さんで買って来てもらった
セーターをもらったり、
ちょびっと映画を観たりしたど。

でな、わしが観た映画のひとつは、
『ローン・サイババー』じゃ。

インドかどっかの田舎で、
モジャモジャへあーのおっさんが、
超能力を使って手のひらから金塊をだすという
素晴らしい作品じゃ。
しかもヤラセなしの実話らしいど!

いや…ちょっと待てよ。
そんな内容ではなかったような…。

そんな内容じゃナイよう!

(最低のおっさんギャグを言ってしまったため、
しばらくお持ちください)

● ● ● ● ● ●

すまんすまん思い出した!
わしが観た映画のタイトルは
『ローン・サバイバー』だった!
インドだか、どこだかの
インチキ超能力者の話ではないど!

実話を映画化したこの作品を
簡単に説明すると…

アメリカ海軍特殊部隊ネイビーシールズの4人が、
夜間にヘリから降下し、とある山岳地帯に入る。
それは2005年、アフガニスタンでの出来事じゃ。

彼ら4人の目的はタリバンのテロリストのリーダー
アフマッド・シャーの潜伏場所を特定することじゃ。

4人が、シャーの潜伏場所の村に近づき
そっと監視していると、
偶然、羊飼いに出くわしてしまう。
老人と子供の民間人じゃ。

このまま羊飼い達を逃がすと、
彼らはおそらく村に戻って、
米軍兵士に出会ったことをタリバンに伝えてしまう。
そうすれば、あっというまに
タリバンの兵に囲まれ
戦闘になるのは必至じゃ。

かといって、羊飼いをこの場で殺すわけにもいかない。
民間人を殺すのは禁止されているからじゃ。

さてどうする?

考えた結果4人は、
仕方なく羊飼い達を解放するのじゃ。
すると案の定、
4人はあっというまに200人のタリバン兵に囲まれ
次々と殺されていくのじゃ。

たったひとり生き残った主人公だが、
全身にロケット弾の破片や、銃弾を受け、
歩くのもやっとの状態じゃ。
ボロボロになりながら、必至に逃げ続ける主人公。
はたして、どうなるのか?という話じゃ。

この映画は実話を元にしているので、
派手なアクションシーンなどは、そんなにない。
だが、ひたすら痛い!
崖から落ちて骨がキシみ、
弾が当たって足をひきずり…。
しかし最後には、泣ける展開が待っている。

わしは、よい戦争映画は
だいたい中立の立場に立っていると思うのじゃ。
つまり「おれらが正しい!」という考えで
作られていないということじゃな。
『パールハーバー』のような
しょーもない戦争映画のように
スカっとするオチを提供してくれる作品ではない。
どちらかといえば、
「なにが正しいことなのか?」を
観た人が家に持って帰って、
勝手に考えてくれという映画じゃ。

ネタバレをしないようにいうと、
わしがこの映画から受けたメッセージは
「自分のためではなく、誰かのために生きろ!」
というシッブ~イ、メッセージじゃな。

この映画の主人公は、
タリバンに追われボロボロになりながらも、
必至で逃げまくる。
タリバンの攻撃があまりに激しいため、
はっきりいって「さっさと殺してくれ!」という心境じゃ。

しかし主人公は思いとどまり、必至に逃げ続ける。

なぜじゃ?死んだほうが楽なのに!
その理由はただひとつ。
仲間に、こう言われたからじゃ。

「お前は生き残って、彼女に愛していると伝えてくれ」

文章にすると、ちょっとはずかしい
お約束的なセリフだが、
これは実際にあったことなのじゃ。
※本人が書いた、原作本でも確認したど。

つまり主人公が、けしてあきらめないで
生きようとした理由は、
自分のためではなかったってことじゃ。
もしも自分のことが一番大切なら、
さっさとあきらめて、殺してもらいたいような
悲惨な状況なんだど。

● ● ● ● ● ●

さて話は変わるが、
先ほどもいったように、わしには
正月休みなんてもんがなかった。

みなさんも考えることがあると思うが、
仕事ばかりしていると、時々こう思うのじゃ。

「あ~、わしって、なんのために生きているんだろう」と。

しかしこういう考えでは、
なかなか「幸福感」というものは得られないんだど。
わしは、生活のために仕事をしているが、
「幸福感」を得るために仕事をしているのではない。
仕事はあくまで、生活のため。
ようするに、金なんてどうでもええんじゃ。
金で幸福が買えるなどとは思っていないしな。

わしが一番幸せに感じる瞬間は、
大切な誰かのために生きることなのじゃ。
それこそが大切。
誰かのために、なにかしたいという気持ちこそが、
最高のよろこびなんだど。
だから、わしもそれが出来る状況になれば、
ベストをつくすど。

これを読んでいる変態良い子のみんなも、
きっといつか、大切な守りたい人ができるはずじゃ。
そん時にはな、
どっかのモジャモジャ超能力者みたいに
手のひらから金塊を出そうとしてあかんど!
メリークリスマスだど!
ただいま2014年12月25日の朝6時。
わしは先ほど帰宅したばかりなのだが、
帰宅途中、夜空にはきれいな星が輝いていた。
しかしトナカイのソリに乗っている
サンタのおっさんは
ついに目撃できなかったがのぅ。

「サンタクロースなんていない!」
などと思っているそこのあなた!
そんなことを言うと、素敵なプレゼントを待っている
子供たちと、
ホテルでイチャつく
エロサンタが悲しんでしまうど。

どうも、わしじゃ。

今日は、とてもクリスマスらしいお話をするど。
これはわし自身の話じゃ。
「クリスマスらしい話」だからと言って
以前のわしのブログのように、
「これは全部、作り話じゃ」なんてオチは
今回は使わないので心配ご無用じゃ。

それは、わしが小学生の頃の話じゃ。
わしの家には、サンタクロースが
1度も来たことがなかった。ただの1度もじゃ。
だからわしは、世間にクリスマスって日があることは
なんとなく知っていたが、
25日の朝に、靴下に入ったプレゼントが届くなんていう
素敵なイベントは、まったく知らんかったのじゃ。

わしの両親は、共働きのうえに、
夫婦喧嘩がひどくて
あまり家にいなかった記憶がある。
だからかどうか知らんが、サンタなんて、わしの家には
来たことがなかった。

小学生の時の、ある冬休みの日。
わしが友達の家に遊びに行くと、
真新しいオモチャが置いてあった。

わし「いいなぁこれ。買ってもらったの?」
友達「サンタにもらったんだよ!」
わし「へ~。三太っていう人にもらったのか」
友達「みんなもらってるよ。お前、もらってないの?」
わし「噓つくな!そんなのお前んちだけだよ!」
友達「違うよ。みんなプレゼントもらってるよ」

これが、わしがサンタクロースという
素敵なおっさんについて知った始めての出来事じゃ。
それ以来ずっと、今に至るまで、
わしの枕元にはサンタのおっさんから
プレゼントが届いていない。
わしはアホホど良い子のはずなので、
プレゼントが届いていないのは、おかしいと思うど。

しかーし!
わしはサンタのおっさんを信じておるど。
わしの家には、毎年たまたま
サンタのおっさんがやってこないだけなのじゃ。
きっと素敵なプレゼントを持って
わしの家に向かっているはずなんじゃが、
なぜか迷子になってしまい、
とうとう現在に至るまで
わしへのプレゼントは届いていないのじゃ。

わしが、なぜこれほど
サンタのおっさんを待ち続けていられるかというと、
それはわしが「人生のほとんどは待ち時間」だと
思っているからじゃ。

わしの人生はいつも待ち時間だった。
次に「幸せだ」と感じる時間はいつなんだろう?
と待っている気がするのじゃ。
わしにとって「幸せだ」と感じる時間は、
いつも一瞬で終わってしまう。
そしてほとんどが幸せの待ち時間じゃ。

ここでいう「待ち時間」というのは、
けして、のんびり何もしないで
ぼーっとしている時間ではない。
そのまったく逆で、
普段から、なんとかしようと
もがき苦しんでいるのじゃ。
そして、たまーにやって来る幸せな時間。

思えば、小学生の頃
イジメに耐えることができたのも
わしが、けしてあきらめないで
ずっとずっと待っていることができる子だったからじゃ。

だからわしは待つ。ずっとずっと待つ。ハチ公のように。
わしは待っていることに慣れている。
なぜならいつも待ってばかりいたからじゃ。
待っていれば、きっといいことがあるに違いない。
そう信じているのじゃ。
実はハチ公は、ご主人様を待っているのではなく、
焼き鳥の匂いに呼び寄せられていたらしいが、
わしは焼き鳥なんてなくても待つのじゃ。
待つ場所が渋谷だったらイヤだけどな。

仮に、待ち続けても何もいいことがなかったとしよう。
それがなんだっていうんじゃ?
待ち続けたまま、老人になり死んでしまえば、
わしは「待つことをやめなかった」ことになる。
つまり「待っている」時間がちょびっと
足りなかっただけってことなのじゃ。

話は変わるが、
ゲイリー・オールドマン主演の
『蜘蛛女』という映画にも
ひたすら待ち続ける男が登場する。
主人公の男は、いろいろあって
最愛の人と、生き別れになってしまうのだが、
別れ際、最後に言うのじゃ。
「毎年6月1日と、12月1日になったら、
必ず待ち合わせ場所で君を待っている」と。

それからというもの、
彼は毎年6月1日と、12月1日になると
待ち合わせ場所のバー(廃墟のような誰もいないバー)で、
ずっと彼女を待ち続ける。何年も何年も。
あきらめかけた、ある年、
入口のドアが「ギギッ」と開く。
ついに彼女がやってきたのじゃ!
「信じてたよ!待ってたよ!」と
主人公が彼女に近寄った瞬間、
彼女の姿は消えてしまう…。

まぼろしだったのじゃ。
ドアが風に揺られて動いただけで、
そこには誰もいなかったのじゃ。

わしは、それと同じ気持ちだとは言わないが、
わしも、同じように待てる男かもしれんな。

あっそうだ。これだけは言っておこう。
毎回、迷子になってしまい
わしの家にたどり着いていないサンタのおっさんだが、
きっといつか、わしの家にプレゼントを持ってやって来る。
その時には、今まで持ち越された数十年ぶんのプレゼントを
全て持って来てくれるに違いないのじゃ。

うらやましいじゃろ?
一ヶ月もブログを
書いてなかったと思いきや
突然思い立って一晩に2ネタも書いちゃう
アホホんな奴はどこじゃ~。

どうもわしです!

最近、数々の名優が他界されたので、
ちょうど以前から書こうと思っていたことを
思い出したんじゃ。

演技のことじゃ。

みなさんは、
映画やドラマを見ている時に
「これはいい演技だな~」って
思うことがあるかのぅ?

わしらのような一般の人間には
なかなか役者さんの演技の善し悪しを
見分けるのはムズいよな?

しかしじゃ。
ものすご~く、大雑把にいうと、
実は演技には2種類あるのじゃ。
これから映画やドラマを見る時に
覚えておくといい。

その2種類がなにかわかるかのぅ?

ひとつは、秋田犬。
もうひとつは…

そら芝居じゃなくて柴犬の話じゃ!
(秋田犬て柴犬か?)
久しぶりにブログを書くから
わしのギャグの切れも悪くなっているかもしれんな。
すまんすまん。

話をもどそう。
わしがいう2つの演技とは、
1)普通のやーつ
2)メソッドのやーつ
の2つのことじゃ。

知っとるかメソッド?
そうそう、メタルギア・ソリッド。

うん。違うな。
いまのはゲームの話になってるな。

わしは演技の専門家じゃないので
わしの知っている範囲で
簡単に説明しよう。

1)普通のやーつ
とは、そのまま、普通のやーつじゃ。
以前、三国連太郎さんや、
名優ジャン・ギャバンなんかも言っておるが、
演じる本人の中で
一番、役に近い感情を強調するって方法じゃな。
ジャン・ギャバンは
「俺は演技しているのではない。
カメラの前で、生活しているだけさ」とかいう
有名な言葉を残しておるど。
かっちょええこと言うな!ジャン・ギャバン!
わしが言ったことにしようかな!

つまりは、悪人を演じるときは
悪いことを考えている時の自分を表現する
みたいなことじゃな。

例えばわしが悪人を演じるとしたら
本屋でエロ本を万引きしている時の自分を想像してだな…。

そんなことせんわ!
わしゃ中学生か!
ちゃんと金払うわ!
(そういう問題ではないな)

で、2)のメソッドについてじゃ。
これはまた、ぜんぜん違う演技方法なんじゃ。
メソッドの役者は、
自分のプライベートなどまったく関係なく、
その役自体に同化するという
ものすごい高度なことをしておるのじゃ。

例えば、酔っぱらいを演じる時には
実際に酔っぱらう。

まさしく役そのものになりきるということで、
その仕事が続く間は
映画の中の人間そのものとして
実生活を送ったりするという
ものすごくストイックな方法なのじゃ。

この演技方法がいかに大変か
有名な例を挙げよう。
映画『ダークナイト』で悪役ジョーカーを演じた
ヒースレジャー。
彼は映画出演後に亡くなってしまったのじゃ。
その彼が亡くなった原因は、
役として演じたジョーカー自身になりきるため、
ドラッグをやり続けたからだと言われておる。

日本でメソッド的な役者として有名なのは
松田優作じゃ。
彼も、役になりきるために
なんと足を切ろうとしたのじゃ。
(最終的には切らずにあきらめた)

言われりゃ、なるほど!
と思うじゃろ?

わしみたいな素人が
演技について、あーだこーだ言えないが、
日本には「メソッド」の役者さんが
ドえらい少ない。
もちろん、メソッドが優れていて
ほかの演技方法が優れていないなどと
いうつもりはないんだけどな。

ただひとつ言えるのは、
わしらのような製作者側も
彼らのような演技者も
少なくとも時代とともに
進化して行くべきだと、わしは思うのじゃ。

ちなみに、このメソッドは
わりと近代になって開発された演技方法なんじゃ。
だから、実践する役者さんも
少ないのかもしれないが、
わしのような無粋な人間は、
どうしても思ってしまう…。
「メソッドやるのが、めんどくさいんじゃねぇの?」と。

一般的な演技方法よりもメソッドの方が、
かなりつらく苦しい演技方法だと想像できる。
だから実践しない人が多いんじゃないのか?
と考えるのは短絡的なのかもな…。

しかし、このブログにも度々登場する
わしの、だーい好きな
フクヤマさんとか、キムタクさんの演技を
思い出してみてほしい。

彼らは、いつ、どこで、どの作品で見たって
本人そのものじゃ。
メソッドのかけらもない。
スゴイですな!

そもそも村社会的な日本の社会では、
メソッドのような演技よりも
おらが村のスター的な演技の方が
受け入れられるのかもしれんがのぅ…。

さてと、話が長くなってしまったのぅ。

このブログを読んでいるかもしれない
変態良い子ちゃんのあなた!
今夜も寒いから、あったかいパジャマとか
ちゃんと着て寝るんだど!
わしの場合、あまりに寝相がわるくて
たまに着てたはずの服が、
布団の中でぐちゃぐちゃになってる時あるけどな!