たまにはイイコトしないと、イイ死に方できないと思い、今年の夏は、ミャンマーで医療ボランティアをしてきました。
激しい下痢症で、ひからびる寸前であったが、とりあえず生還しました。ご心配くださいました諸兄には、この場で帰還の報告をさせていただきますとともに、ご声援を厚く御礼申し上げます。
ミャンマーと聞くと、多くの日本人は軍事政権とかアウンサンスーチーさんとか、あるいはビルマの竪琴くらいしか思いつかないことでしょう。
日本人ジャーナリストが殺害されたことを覚えているかたもいると思いますが…
人心は概してよく、いいところがたくさんある国ですが、いいニュースは日本にはなかなか入ってこないのが残念です。
軍政が民を虐げているわけではなさそうなんですが、とにかく社会制度や医療福祉の面で、民がほったらかしになっている国です。
インターネットもごく限られたところでしかアクセス不能。しかも、hotmail, yahooは規制により閲覧禁止ときている…
40年前の日本車が未だ現役で、走りながら大破しちゃうんではないかと思われる車に何度も乗りました。
気候も厳しく、現在雨季では車のタイヤ半分が水に浸かってしまう有様。故障車をずぶ濡れになりながら押しているおじさん、かわいそう…
さてさて、以下、活動報告です。
そんな国なので、まず、現地入りするので一苦労。日本からの直行便がないため、タイ・バンコクで乗り継ぎ。
バンコクからミャンマー首都ヤンゴンには2時間で着く。
首都ヤンゴンで1泊してから、また飛行機。ヤンゴンから700キロ離れたワッツェという土地にそのボランティア病院はある。
本来、外国人の立ち入りが禁止されている地域だが、政府の許可を得て、日本人のボランティア団体が無償で医療を提供しているのだ。
ミャンマーでのボランティア活動15年の大ベテランDr.YとTAKEより少し若い研修医卒業したてのDr.Iが迎えてくれたが、一息つく間もなく、手術の予定表が突きつけられ…
TAKE「こ、これ全部こなすと毎晩真夜中だな…」
Dr.I「でも、先生たちがいる期間は限られていますからねぇ」
TAKE「医者が揃う今しかないということですか。久しぶりに着合いをいれないといけませんね」
内心まずは慣らしで行きたいと思っていたTAKEが、しょっぱなから驚愕したのが、中年女性の巨大甲状腺腫。
女性の首には赤ちゃんの頭くらいの大きさの腫瘍ができ、かれこれ10年の付き合いらしい。
逆にいうと、手術の機会、医者もお金も今までなく、この大きさまで育ってしまったのであろう。
この人だけでなく、日本にいればとっくに治してもらえているような病気が、特大サイズとなり我々を待ち構えているのだ。
TAKE「いきなり、こいつは大物ですよ、全身麻酔でないと。しかも輸血も用意しないと…」
Dr. I「あ、先生。輸血は用意がありますが、麻酔は局所麻酔で行いますよ。簡易麻酔器しかないので、この施設では全身麻酔は却って危険なんです」
TAKE「日本だったら考えられませんが、しかたありませんね、では局所麻酔薬を」
局所麻酔薬にはバングラディッシュ製とかかれている。
Dr.Y「粗悪品が多くて、2本に1本は効かないんですよ。」
TAKE「げげー、地獄の手術になりそうですね」
加刀。
10年あたためられたその腫瘍の血管は、縦横無尽に発達し、切除にかかる我々の手を出血という形で阻んだ。
Dr. I「少し切るだけで出血するな…」
Dr. Y「これは、甲状腺動脈やな、こいつを先に処理してしまえば…」
TAKE「確かに先生。しかし、コラテがここまで発達していれば、どこをあてても出血すると思いますよ」
Dr. Y「そうだね、たいへんだわ、いつ終わるか先が見えん」
TAKE「まさに、これは爆弾処理みたいなもんですね、しかし、終わらないオペはないわけですし、少しずつ進めましょう」
(患者さんには不謹慎だが、日本でのヌルい手術に毎日つき合わされていたTAKEは久しぶりにアドレナリン全開。)
TAKE「で、今、出血どれくらい?」
Ns「1000ccです」
Dr.Y「もうそんなに出たか、ペース速いな。輸血始めてくれ」
Ns「先生、血圧が下がっています。出血1500cc超えました。」
Dr.Y「スタッフの中で患者と同じB型を募ってくれ、早くっ!」
(日本のように日赤の血液バンクがあるわけではないので、身近な人間のナマ血です)
そして10分後。こんどは、
Dr.Y「呼吸もオカシイぞ、反回神経損傷したか?」
TAKE「先生、ヤバイです。緊急気切します!」
術中の急変を乗り越え、安心できるところまでたどり着き、気がついたら5時間経っていた。
患者さんの苦痛と恐怖は想像するに余りある。なんとか無事に終わったとき患者さんはどんな顔をしているだろうと思い申し訳ない感じになった。患者さんの顔を覗き込むと、ぐったりしていたが、長年の腫瘍がとれたことが本当に嬉しくて、眼に涙を浮かべて手を合わせて感謝の気持ちを示してくれたのだ。われわれも胸が熱くなった。
このあとも手術を次々にこなしていく。寝る間もなく身体は思いっ切り疲れたが、プロフェッショナルとしての充足感を久々に感じた1週間であった。
仕事後、川の水を頭から浴びるのがまた気持ちいいこと。
不十分な設備、限られた医療資源。
モノが無限に手に入る日本だったら、こんな状況で手術するなら犯罪といわれてしまうだろうが、ここミャンマーではわれわれが逃げるわけにはいかないのだ。
ここで手術できないというなら、いったい誰が彼らを救うのだ?
われわれのミッションの期間を待ち続け、旅費のために家を売ってまで、訪れる人もいる。中には帰りの旅費がない人もいる。
股で挟んで歩くような特大鼠径ヘルニア、成人まで未治療な唇裂、手と首の皮膚が溶けてくっついてしまった熱傷…
病気による醜形のために、人目につかないように生活している人たちがたくさんいる。
こういう極限の現場で少しでも役に立てたことが嬉しい。
(辛気臭い研究よりも、こっちのほうがやりがいあるって!)
つづく(かも。)

