「夢」というものはわたしにあるのだろうか。
ひとつのものを追い続けるということ。それができているのだろうか。
歳を重ねていく、または生活が変わっていくうちに夢は変わっていくという。
わたしはどうなんだろうか。
今までを通して、強い女になりたい、ということだけはずっと思っていた。
誰かに縋り付いて、養ってもらって、自分には何もないのに生活できてしまうことが、本当に怖いのだ。
身体的にも精神的にも。薄っぺらい人生なんて送りたくないのだ。
でも今のわたしには何もない。何もできない。大切なものなんてない。
この人のために頑張ろうなんて思える人がいない。
ただ単に息して、食べて、寝てるだけ。このままでいいわけないことだけはわかる。
勉強期間なのだと思えばそうなのだ。
色んなものに触れて、何かを始めるいい機会といえばそうなのだ。
何もできないわたしは何をしないといけなくて、何がしたくて生きているのだろうか。
今日は、戦意が足りないと思った。
圧倒的な経験不足。
運動量が足りない。
トーキョーに来て、楽しくないことを楽しいとか、やりたくないことをやりたいとか、そう、言うのを強いられていった結果、本来の闘争心が削られていった。
本心と行動が、理想と現実が解離していってなにがなんだか分からなくなった。
強く、なるにはどうしたらいいのだろうか。
今の生活にギュンギュンしない。
このあってもなくてもいい日々を繰り返し続けていいわけがない、ことはわかる。
「このままやめてしまってはなんか悔しいから」「みんなが“小さい時からの夢を叶えててすごいね、どうかこのまま頑張ってね”と言ってくれるから」「長年の努力が無駄になったような気がするから」「過去の自分を裏切ったように思えるから」なんて理由で、惰性で続けているようなものだな。
“今”の自分は何がしたいのかな。
現状を打開できるのも、このままダラダラ続けていくのも自分。
決定権は全部自分。そんなことはわかりきっている。
どうかわたしの目が死にませんように。
強い女になりますように。
今日もお疲れ様でした。