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内田篤人 代表引退を示唆 コロンビア戦後インタビュー内田篤人×澤登正朗 コロンビア戦後対談インタビュー〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
試合終了の笛がスタジアムに響くと、ソックスをおろし、靴ひもを外した。
ピッチ中央に集まるチームメイトとは違う方向へと、内田篤人は歩いていた。そしてベンチの中央に座り、スタジアムをしっかりと見渡したあと、下を向いた。その肩が震えていたかまでは、わからない。
しかしチームスタッフに肩を抱かれ、スタンドのサポーターの元へ挨拶に向かうために立ち上がった内田は、その腕で顔をぬぐった。サポーターの前で深々と頭を下げたあとは、最後まで顔をあげられなかった。しばらくは、頭を垂れたままだった。
「どうしても勝ちがないと、報われない気はする。でもまあサッカーやってきて、そういう努力というのは、報われないことのほうが多い。それが、勝負の世界かなという気がしますけど。報われるときなんて、優勝するときしかないんだから。
決勝で負けようが、準決勝で負けようが、準々決勝で負けようが……。トップに立たなければ、努力は報われないなと思っている。そっちの経験のほうが断然多いし、しょうがないかなという気がするけど」
W杯敗退が決まったコロンビア戦翌日、内田はさっぱりとした顔で言った。
「まだ任せられない」と出場できなかった南アW杯。
正論を口にし、自身の心の揺れは見せない。いつもの内田がそこにいる。
2010年のW杯南アフリカ大会では、直前に長く務めていた先発の座を失った。守備的に戦うと決めた指揮官はのちに、「内田にはまだ任せられない」と判断したと語っている。
初戦に勝ち勢いを手にしたチームの中で、内田はただそこにいるだけで精一杯というように見えた。大会中にポジションをとりかえすよりも、大会後のことへと気持ちを切り替えようとしていたのだろう。大会後にはシャルケへの移籍が内定していた。決勝トーナメント一回戦で敗れ、岡田ジャパンが解散すると、短い休暇を経てドイツへ渡った。南アフリカで描いていた未来へ、足を踏み出すために。
「スタッフのために」とゴールも決めた。
'10-'11シーズンは加入直後から先発でプレーし、リーグ戦は低迷したもののチャンピオンズリーグベスト4まで進み、ドイツ杯に優勝した。
'11-'12シーズン序盤は、一度は譲ることになった先発の座を終盤には取り戻し、リーグ3位という結果を残した。ヨーロッパリーグでも決勝トーナメント進出を果たしている。
'12-'13シーズンには、シャルケ不動の右サイドバックとして存在感を示した。肉ばなれからの復帰戦となったドルトムント戦では2アシストをマーク。チャンピオンズリーグでもグループリーグを突破。リーグ戦でも4位となり、2シーズン連続でチャンピオンズリーグ出場権を獲得している。
そして、ドイツでの4シーズン目となった'13-'14シーズンも順調に試合出場機会を重ねていたが、2014年2月の試合で負傷し、戦線を離脱したままシーズンを終えた。
「あと数週間リーグ戦があれば、復帰できていたはず。リハビリを支えてくれたシャルケのスタッフには申し訳ない」と話している。しかし日本代表では、W杯ブラジル大会のメンバーに入ると5月27日のキプロス戦で先発し、「怪我を治してくれたスタッフのために」とゴールも決めた。
「人のために頑張った方が頑張れるのかな」
アメリカへわたってからの2試合でも先発出場したが、途中交代している。
「活躍できればいいなと思うけど、まずはチームが勝つこと。自分のことというよりはね。日本が勝ち点1でも3でも拾って次のステージへ、少しでも上へということじゃないですか。ブラジルは地球の反対側ですけど、見てくれている人もいるし。人のために頑張った方が頑張れるのかな」
負傷した自分をピッチに立たせようと奮闘してくれたスタッフ。リハビリの現場で出会った他競技のアスリートたちの存在。「次のW杯では試合に出る」と誓った4年前には想像もしていなかった“想い”が彼のモチベーションとなっていた。
頑張ることだけでは、期待に応えたとはいえない。
背負った期待を原動力にできるのも、生存競争の激しいシャルケで培った経験からだろう。そして、厳しい愛を注いでくれるシャルケサポーターの存在が、内田の中に秘められていた闘志を引き出した。
勝利に贈られる熱狂は、敗北には当然冷たい。頑張ることだけでは、期待に応えたとはいえない。ドイツでの日々が教えてくれたプロとしてのルールだ。
6月14日。レシフェのアレナ・ペルナンブーコには日本人サポーターが歌う「君が代」が響いた。
U-17日本代表に選ばれて以降、何度も聴いてきた国歌だが、この日は内田にとっても、格別な「君が代」だったに違いない。
開始早々に先制点を決めたものの、日本はその後2失点を喫して初戦を落とした。
「今日ギリシャも負けたので、次のギリシャ戦は死闘というか、そういう感じになると思う。それは今日勝ち点ゼロだった、自分たちがまいた種だから。ここで負けてずるずるいくようなチームなら、そういうメンタルの選手が集まっているチームだということ。ここでもう1回、チームとしてグッと力を出せないと、たとえ上(決勝トーナメント)へ行けたとしても、ダメだと思うから」
勝つことか、自分たちのサッカーか。
初戦のコートジボワール戦では、自分たちのサッカーができなかったと多くの選手が語った。そして敗戦のショックを「自分たちのサッカーが出来さえすれば勝てる」という自信で打ち消しているようだった。
そんななか、内田は「自分たちのサッカーが出来れば勝てると思うのか、相手が自分たちのサッカーをさせてくれないくらい高いレベルと思うのか、それは人それぞれだ」と話していた。
そして、こうも言っている。
「W杯は勝つことが目標なのか、自分たちのサッカーをすればOKなのか? それは選手だけじゃなくて、見ている人もそうだし、一人ひとりの考え方でしょう」
このとき、自身の考えについての明言は避けたが、別の質問で次のように答えた。
「勝つために何を考えるかと、考えればいいんじゃないですか? ゲームをやっていくなかで自分たちで判断して。ベンチからの声を待つんじゃなくてね。これが試合前にわかっていたら、全部勝てるんだけどなぁ」
内田にとってW杯は「普通のサッカー」だった。
しかし、第2戦のギリシャ戦はスコアレスドローで終わった。退場者を出した相手が固めた守備を破ることができなかったのだ。
「勝つためのサッカーができたのか?」と訊くと、きっぱりと言い切った。
「結果が出ていないので、できていないんじゃないですか? メチャメチャ簡単だと思います。結果が出ていればOKだし。それはW杯に限らず、リーグ戦でもチャンピオンズリーグでも、ヨーロッパリーグでも、お金をもらっている以上は勝負だと思います。
大切なのは根本的なところ。サッカーやるからには負けたくないじゃないですか? W杯でも練習試合でも、次のラウンドが懸かっている試合でも、やるからには負けたくない。勝たなくちゃ話にならない。そこはいつもそう思っているから」
4年ごしの目標を達成して出場したW杯の舞台を、内田は「普通のサッカーだった」と話している。
シャルケに在籍した4シーズンで、3度のチャンピオンズリーグと1度のヨーロッパリーグを戦い、さまざまなアタッカーやストライカーと対峙してきた内田は、W杯でも高い集中力で相手のプレーを読み、身体を張り、球際では厳しいプレーで攻撃の芽を摘んだ。自ら攻め上がることでサイドの攻防を制した場面も少なくなかった。
「本当にシャルケがいろいろと変えてくれている」
攻守にわたり、日本代表のサッカーを動かす存在になっていた。そんななかでもやはり目をひいたのが、その守備だ。
4年前はウィークポイントだと言われ、指揮官の信頼を得られなかった。しかし日ごろから「僕は守備の人だから」と話すことも多い内田は、W杯の舞台でその強さを発揮していた。
「本当にシャルケが、シャルケでの練習や試合、あのスタジアムが……いろいろと変えてくれている。だから、W杯でも本当に普通にやるだけだと思っている。手ごたえはあるけれど、それは周りの人が決めること。それに、サッカーはチームスポーツじゃん。団体競技は結果だから。やっぱり僕はディフェンスだから、根本的にはチームが勝たないと評価されない。……勝たなくちゃね」
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右膝のテーピングが痛々しかった。故障明けで臨んだW杯。3試合すべてにフル出場し、右サイドで獅子奮迅のプレーを見せたDF内田篤人が試合後のテレビインタビューで日本代表からの引退を示唆した。
「そのことに関しては、今から考えるわけではないし、ちょっと前からずっと考えていたことなので。人に言っていなかっただけで」。詳細な理由は語らなかったが、負傷の影響もあるのだろう。
今年2月、右太腿裏の肉離れとともに右膝裏の腱を断裂。ギリギリの判断で手術を回避し、このW杯に懸けてきたが、ギリシャ戦からは右膝にテーピングを巻くなど満身創痍の状態だった。
それでも試合になれば、負傷を感じさせないプレーを見せた。何度となく上下動を繰り返し、チャンスに絡み、守備でも体を張る。孤軍奮闘する姿に、この大会に懸ける決意がにじみ出ていた。
4年前の南アフリカW杯は本大会直前にレギュラーを外され、1試合もピッチに立つことができなかった。「W杯はどんなかなと思ったけど、普通にサッカーの試合だった」。どんな状況でも冷静さを失わず、平常心でプレーする。どこか浮き足立ち、プレッシャーに悩み苦しみ、対戦相手を過度に恐れるようなチームメイトの中で、内田は異質とも言える存在だった。
「自分たちのサッカーをすれば勝てますよ、それは。でも、できないから。これが地力じゃないですか。何回も言ってきましたけど、いつもどおりやればいいと思っていた。それをやれないんだけど。そういうレベルだから」
内田の覚悟は結果に結びつかなかった。「世界は近いけど、広いなと」。あらためてそう感じた。「勝って、ここ(ミックスゾーン)を通ってしゃべりたい。負けてしゃべっても説得力がないし、格好悪いでしょ」。26歳の右サイドバックは、力なく笑った。
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2月9日のブンデスリーガ・ハノーファー戦で右太もも裏を痛め、公式戦から4か月近くも遠ざかった内田篤人(シャルケ)。5月27日のキプロス戦(埼玉)で戦線復帰し、6月初旬にアメリカ・タンパで行われたコスタリカ戦、ザンビア戦で少しずつ出場時間を伸ばし、2014年ブラジル・ワールドカップ本番に備えていた。それでも、大会前は「試合勘が不足している内田が3試合をフルで戦い抜くのは難しいだろう」という見方が大勢を占めていた。
ところが、「普段通り」を心掛ける内田は14日の初戦・コートジボワール戦(レシフェ)から攻守両面で堂々と世界と対峙した。長友佑都(インテル)と香川真司(マンチェスター・U)の左のラインが相手に研究され、持ち味を全く出せなくなる中、内田の右サイドは攻撃の起点としてチームを活性化していた。
その流れは19日のギリシャ戦(ナタル)、24日のコロンビア戦(クイアバ)も変わらなかった。ギリシャ戦では相手のエース・サマラス(セルティック)に仕事らしい仕事をさせず、自ら決定的なシュートを放ち、この日最大のビッグチャンスだった大久保嘉人(川崎フロンターレ)のフリーのシュートをお膳立てした。コロンビア戦でも前半終了間際の岡崎慎司(マインツ)の同点弾の起点となるドリブルでの攻め上がりを披露。チームとしては最終的に4点を奪われ、惨敗を喫したものの、内田自身は懸命のカバーリングを見せ、守備崩壊を防ごうと最後まで必死に走り抜いた。
「どうしても自分たちが勝たなきゃいけないのは分かってましたし、前半ギリシャが勝ってるって情報も入ってましたし、その中でバランスを崩して前に行ったから、こういうサッカーになっちゃったんじゃないですかね。僕自身はサイドから何回か嘉人さんにぶつけたシーンがありましたし、こういう大会ではセットプレーで点が取れたら楽なんですけどね。ただ、相手の選手はつねに僕らが上がった後ろを狙ってましたし、向こうの戦略通りって気がしますけどね。日本は進歩しているとは思いますし、いろんな選手が海外に行ってやれてるのもそうだと思いますけど、世界は近いけど、広いなって感覚があります。それはこの大会で思ったことじゃないけど。ドイツに行ってすぐ感じたし、なんか近くなったような気もするけど、やっぱり広いですよ、世界は」と試合後のミックスゾーンに現れた内田はいつものように淡々と敗戦を分析していた。
そんな内田だが、今大会では日頃戦っている通りの実力をストレートに出せた数少ない選手といっていいだろう。それも内田が再三、口にしてきたUEFAチャンピオンズリーグ(CL)など大舞台の経験値から来るものだろう。
「俺、いつも通りって何回も言ってましたけど、本当にいつも通りやれればいいと思ってた。4年前に試合に出られなくて、『ワールドカップはどんなもんだろう』と思ってたけど、普通のサッカーの試合でしたし、変わらなかった。だけどやっぱり結果が出ないとね。負けてみなさんの前でしゃべっても何の説得力もないし、かっこ悪いですから。ホントに結果が全てだと思いますよ」とこれまで勝利に誰よりもこだわり続けてきた内田は、1分2敗の勝ち点1のグループ最下位という屈辱的な結果を、内田は自分なりに静かに黙って受け止めるしかなかった。
とはいえ、自分が主力として戦った大舞台で、これだけの惨敗というのは、鹿島アントラーズやシャルケという名門クラブでプレーしてきた内田にはあまりないこと。やはり耐え難い気持ちはあるだろう。本人の口からは、こんな言葉も飛び出した。
「俺はシャルケの方がいいプレーができるんだけどね(苦笑)。何でかな…。そこはこの4年間、ずっと悩みましたけどね。そこが分かってたらね…。周りに誰がいるとかそういうことじゃないけど」と内田は代表における自分の役割やパフォーマンスにどこか戸惑いを抱き続けてきたようだ。
それがテレビインタビューでの「代表引退を考えている」という発言につながったのだろう。ただ、本人は「このまま下の世代に任せるのもどうかと思う」ともコメントしており、まだまだ代表への執着もある。ブラジルでの屈辱的惨敗の悔しさをどこかで晴らしたいという思いも少なからずあるはずだ。
今大会の日本代表に希望をもたらした右サイドバックには今後の身の振り方を考える時間は確かに必要だ。ただ、こんな形で終わって欲しくはない。内田の高いレベルの国際経験値を日本サッカー界はまだまだ必要としている。内田自身の進化が、日本代表の成長につながるのは間違いない。そういう意味でも、内田には4年後に向けて今一度、闘志を奮い立たせてもらいたいものである。
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――こういう結果となったが。
「自分たちが勝たなきゃいけないのはわかっていたし、前半でギリシャが勝っているという情報も入ってきていました。その中で勝ち切れない、バランスを崩して前にいって、こういうサッカーになっちゃったんじゃないですかね」
――前半で追いついたところまでは納得できる形だったか?
「いや、こういう形で先に失点しちゃいけないというのはわかっていたし、前半で追いつけたのはラッキーかな」
――相手は後半から10番(ハメス・ロドリゲス)が入ってきましたが。
「彼は(ディディエ)ドログバとはタイプが違いますが、真ん中でうまくボールを持てる選手。一発を持っているし、ロングシュートも威力がある。そこでうまくサイドにふられた。やはりいい選手だなと思った」
――前回を超えるためにやってきたが、結果として勝ち点1しか取れなかったことについてどう思っているか。
「まぁしょうがないですからね。勝ち点1しか取れなかったし。逆にギリシャはよくあそこまで粘ったと思います。こういう大きい大会で自分たちのサッカーができればというのはありますけど、相手チームがさせてくれないですからね」
――自分たちのサッカーをやろうとして、結果的にこうなってしまったが、途中で軌道修正しようという考えはあったか。
「いや、監督がうまくやってくれようとしていた。監督が今までどおりやっていこうと一番言っていたので、選手がそれをできなかったというのを強く感じます。自分たちのサッカーができれば勝てます。でも相手のレベルが高いからできない。ボールも持てないし、一発を持つ相手選手もいる。これが地力じゃないですか。自分たちのサッカーができない中でどうやって勝つのかが大事だと思う」
――日本のサッカーは進歩しているか。
「進歩はしていると思いますし、いろんな選手が海外に行って世界でやれているのもそうだと思いますけど。世界は近いけど、広いなという感覚はあります。それは別にこの大会で思ったことじゃないけど。ドイツでもそうですし」
――W杯の舞台だと相手も慎重にくる部分もあるし、激しさも普段の親善試合に比べて違うと思うが、そういう中で勝つために今後どういうことが必要だと思うか。
「それをやっていたつもりだった。結果が出ないと俺が言っても説得力がない。勝ってから言わないとね。勝ってから言います」
――4年前は出られなかったがその感慨に浸ってる時間はなかった?
「ワールドカップってどんなものかなとは思ったけど、普通にサッカーの試合でしたし、変わらなかった。やっぱり結果が出ないとね。びびらないというか普通でした。いつもどおりって僕何回も言ってましたけど、まぁそれが中々やれないんだけど。そういうレベルなんです」
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初めてW杯のピッチに立った内田と香川が、悔し過ぎる終戦を迎えた。大会を通じて攻守に奮闘したDF内田篤人(26)=シャルケ04=は、今大会限りでの代表引退を示唆。3戦連続不発に終わったFW香川真司(25)=マンチェスターU=は「キャリアは続く」と、18年ロシアW杯での雪辱を誓った。
甘いマスクが涙にぬれた。左袖では拭いきれず、右袖で拭いた。止まらない。両手で顔を覆った。カメラに映らないように、ベンチに腰を下ろした。「ああ…終わったんだ」。絞り出すように、つぶやいた。
試合後の取材エリア。内田はぽつぽつと語り始めた。もちろん、悔しさが大きい。それだけじゃない。「最初で最後のW杯」。そうなるかもしれない。胸の内に秘めた思いを明かした。
「(代表引退は)考えています。日本に帰って少し休んで考えたい。今から考えることじゃなくて、ちょっと前から考えていたこと。人には言ってなかっただけです」
2月に右膝裏の腱(けん)損傷を負い、何とか間に合わせた今大会。コートジボワール戦では、国歌斉唱の際に涙が出た。10年の南アフリカ大会は不出場。力を積み上げてきた末の念願のW杯デビューだった。この4年は苦しみや悩みの方が多かった。頭をよぎった。
「まさか泣くとはね、思わなかった。入場のアンセム(テーマ曲)を聴くまでは大丈夫だった。でも、国歌が流れた瞬間、我慢できなくて。このピッチに立てているのは、いろいろな人に支えられてきたから。大会に間に合わせてもらったし、リハビリをやった他のスポーツ選手たちにも、活躍する姿を見せたかった」
覚悟は決まった。コートジボワール戦で攻守に存在感を見せ、ギリシャ戦でもプレー、判断でミスはほとんどなかった。一方で右膝の痛みは増していった。
「復帰した時点(5月27日・キプロス戦)で、左右の太ももの筋肉量の差が20%違った。試合に復帰できる目安が20%らしい。ぎりぎりだった。それから試合もあって、思うように筋トレもできなかったから、差は広がっていると思う。オフ(21日)がなかったら正直きつかった。でも、やらなきゃ駄目でしょ。いろんな人のおかげでピッチに立たせてもらっているんだから。自分だけのW杯じゃないんだから」
孤軍奮闘した。でも、チームがうまく回らない。相手を恐れ、引いてしまったコートジボワール戦。10人を相手にゴールを奪えなかったギリシャ戦。力の差を見せられたコロンビア戦。もどかしい思いはあった。
「俺たちはここに勝負をしに来ている。他国から見れば、日本はまだチャレンジャーかもしれないけど、海外に出てプレーしている選手も多い。所属するクラブ名だけを見たら(他の出場国に)見劣りしないでしょ。4年に一度の大会で、必要以上に身構えてしまうのは仕方ない。でも、ピークの持っていき方や気持ちの準備ができるのが本当のプロ。体調面で言ったら、僕はいろいろな人に助けてもらった立場だけど」
頭の片隅にある「代表引退」の4文字は本音だ。ただ、ブラジルに悔いを残していないと言えばウソになる。ここ数年、けがや体調不良に泣かされた、もどかしさもある。
「悔しいけど、これが今の力なのかな、とも思う。勝負ごとに勝ち負けは付き物だから。でも、夢とか目標を下の世代に託すのはどうかな、と思う気持ちもある。努力が報われなかったのは残念だけど、難しいゲームにしたのは自分たち。世界は近づいて来てはいるけど、まだまだ広い」
迷っている。日の丸を背負うことが国のため、そして自分のためになるのか。気持ちが膨らんでいく方向は、まだ本人にも分からない。(構成・内田 知宏)
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南(かんなみ)町生まれ。26歳。右サイドバック。06年に清水東高から鹿島入りし、リーグ3連覇などに貢献。北京五輪代表を経てフル代表に定着。10年7月にドイツ1部・シャルケ04へ移籍。Jリーグ124試合3得点。ドイツ1部85試合1得点。国際Aマッチ71試合2得点。176センチ、62キロ。血液型O。
◆サッカーの代表引退 選手自らの意思で代表チームから退くことを指す。W杯の前後に表明する選手が多い。4年後にはピークを過ぎていることを見越して若手に活躍の場を譲り、自分は現役は続行し所属クラブでのプレーに専念する。MF中村俊輔(横浜M)は、10年南アフリカ大会で敗退した直後に、「次の代表はない」と代表引退を明かした。今大会前にはイタリアのMFピルロ、スペインのFWビジャが同様の表明をしている。
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試合後に代表引退を示唆したDF内田篤人(25=シャルケ)は「やめるとは断言していない。この大会終わったら考えようと思っていた。ここ(プレスルーム)に来るまでに決めてやろうと思ったけど、全然決まらなかった」と期限を決めずいろいろな可能性を考えたい意向を口にした。
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コロンビア戦後のテレビインタビューで今大会を最後に日本代表から引退する可能性を示唆したDF内田篤人が一夜明けた25日、ベースキャンプ地のイトゥで報道陣の取材に応じ、あらためてその心境を語った。
「やめるみたいな雰囲気になってるけど、やめてね。考えるだけだから」。代表引退を決めたわけではなく、その可能性も含めて考えたい。それが内田の偽らざる思いだ。
「この大会が終わったら考えようかなと漠然と考えていた」。きっかけの一つには今年2月に負った故障の影響もあるようだ。右太腿裏の肉離れとともに右膝裏の腱を断裂。ギリギリの判断で手術を回避し、W杯に間に合わせたが、ギリシャ戦からは右膝にテーピングを巻くなど満身創痍の状態だった。
「代表も大事だし、代表をリスペクトしている分、100%でいられない自分はどうなのかなと」。クラブ、代表での過密日程の中、自分自身が満足できないパフォーマンスになるのであれば、日本代表から退くべきではないのか。
「こうやって言うってことは、影響力もあるし、影響力があるのを理解したつもりで言っている。追い込むには持って来いだなと」。時間はある。自分が納得できるまで、とことん考えるつもりだ。
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大きな期待を背負い、小さからぬ野心を抱いた日本代表の旅路は、わずか十日余りで閉幕を迎えてしまった。
敗因を一つに限定するのは不可能だし、それはそもそも不正解でもあるだろう。複数の要因があって、日本は敗れた。今年に入って主力選手に不調や負傷が相次いだのは不運だったと言えるし、それを補うだけの力がなかったとも言える。ただ悔やまれるとしたら、そして後世の教訓とすべきはやはり、初戦の内容だ。
「自分たちのサッカー」というフレーズが独り歩きしてしまった感があるが、個人的には内田篤人が使っていた「普段どおりにやる」という言葉のほうがしっくり来る。「自分たちのサッカー」と言っても、何も相手のことを何も考えずにプレーするというニュアンスではないだろう。「やってきたことをやる」。そういう意味だったと解釈していた。
できなかった理由は幾つかあるが、平常心を欠いたように見える選手が複数いたことが大きかった。長谷部誠や本田圭佑、遠藤保仁といったW杯を知る経験豊富な選手たちが軒並み負傷明けだったり不調だったことが大きく、経験のない選手をサポートする余力がなかったのかもしれない。いずれにせよ、「普段どおりにやる」ことができぬままに日本は敗れた。
これを「メンタルが弱かった」と総括してしまうのは簡単だ。実際、「ブログを更新していたのは戦う気構えがなかった証拠」なんて批判まで目にしたのだが、個人的には真逆の見解、感触を持っている。
「ブログくらい普通に更新しておけ」と。
普段どおりに戦ったという内田は、確かに普段どおりの強さを見せてくれた。日本の選手に必要だったのは修行僧のような禁欲さで自分を律し、古の武人のような潔癖さで決死の思いを固めることではなく、もっとリラックスし、もっと普段着の状態でこの場へ挑むことではなかったのだろうか。
普段からブログを更新している選手ならば、更新すればいいのだ。カードゲームで自分のカードが当たらないと大量購入してしまった絵をアップしてもいいだろう。齋藤学が変なカエルとツーショットで収まっている写真が、大爆笑の的になっているのでも良かったと思う。
もちろん、気合いは大事だ。集中力も重要だ。しかし、ガチガチになってしまって、気負いの余りに持っている力を十全に出せていないように見えた選手たちのことを思うと、必要だったのは「ブログを更新しないこと」ではなくて、もっと普段着でいることだったのではないかと思う。内田は「普通のサッカーの試合」としてW杯に臨んだと言う。彼ほどの精神性を持つのは簡単ではないと思うが、過緊張で試合に入ったのはもったいなかった。
普段どおりのサッカーをしようとして、普段どおりの力を出せなかった今大会。4年後への教訓を考えるなら、それは「気合いが足りん! もっと真面目にやれ!」といったネガティブな精神論ではなくて、いかにしてリラックスして普段どおりに試合へ入るかというポジティブな精神論ではないだろうか。
これから4年、新しい日本代表が新しい形でスタートを切る。その代表がロシアでの戦いへと臨むときに掛けるべきは、「修行僧のようになれ!」ではなくて、「普段どおり、リラックスしてやれば大丈夫だ」という言葉でありたいと思っている。