2022.04.16 に
脳梗塞で 母が倒れた。
最初に連絡を受けたのは 私 だった。
いつもそう。
何かある時、最初の連絡は 何故か私がとる。
その日の16時くらいだったか、
母からの携帯が鳴り
電話をとると
なにか変だ。
言葉が、、ろれつが回っていない。
どーした??
右の手が、、足が、、動かん。。。
どこにおる??
山におる。。。
山に行っていて、
突然、倒れて
右半身が動かなくなり
畑の真ん中あたりから
這って
這って
左手でお茶の木を掴んで
2時間くらいかけて
小屋まで行って
その小屋のテーブルに置いていた
携帯電話をとって
ガラケーだから開けず
なんとか口まで持ってきて
こじ開けて
そして、私に電話してきたのだった。
近くに住む弟に電話したけど出なくて
私にかけてきた。と
すぐ弟に電話するからそのまま待ってて。
救急車呼ぶから、大丈夫!待ってて。
すぐ連絡する!!
と、弟にすぐさま連絡して
山まで行ってもらい、救急車も来てもらった。
のだけれど、
弟には電話していなかった。
そして、
救急車も、畑のある山道は通れず。
かなりの時間がかかった。
母は、待っている間に
近所の親しいおばちゃんに
電話かけていたみたいで
慌てて駆けつけたその方の
軽トラックがあったから
その後ろにみんなで母を乗せて
救急車が待つ場所まで移動させれた。
そこから病院まで約1時間。。
発症から約4時間が経っていた。
夜、みんなが病院へ駆けつけた。
ベッドに横になってる母と話ができた。
脳梗塞であること
4時間経っていて、手術はせずに
このまま経過をみること
右半身が動かず、
良くならないかもしれないこと
明日からは面会できないこと(コロナで)
とりあえず入院できてホッとし、
病院にお任せするしかなく、
そのまま解散した。
病院は面会できず、
母の携帯電話だけが繋ぎの手段になった。
母が入院してから暫くして
うちのなつ 腫瘍が見つかった。
口の中に出来てた。。。
動物病院では、
口の中だから放射線治療しても
治るかどうかはわからない。と
治療はしない。と決めて
見守っていたのだけれど、、
だんだんと食べれなくなって
カリカリご飯からスープ系のご飯へ。
一方、母の方は
5/13 運ばれた病院から
リハビリ専門の病院へ移動する事に。
右半身は全く動かない状態のままで。
6/4 なつとりゅう(姉弟)
お互いが近寄ってくのは珍しい光景
痩せていくなつ。でも元気
病院は、面会禁止。で、
外からリハビリの様子が見れるようになってた。
なつは、いよいよご飯を食べれなくなって
山場を迎えた日、
髪の毛がある猫ちゃんに出会う
7/20 やっとミルクを舐めれる
顎からは毒素が沢山でてた。
そして
リハビリの病院では
なんと、歩けるようになってた母
装具を付けてだけれど、
全く動かす事が出来なかった足が動いてる!!
ホントに奇跡だと思った
7/21
なつの姿が見当たらない。
猫は旅立つ時、姿を消す。と言われてる
(実際にはすぐ近くにいるんだけどね。と動物病院の先生は言ってた)
娘ちゃんが、探し回ったら
一回りした近くの家の車の下にいて
連れて帰って部屋で見守った。
次の朝、起きたら
なつはベッドの奥の方にいて
まだ息があったから
すぐにミルクを持って部屋に戻った。
部屋に戻ったら 動かなくなってた。と
娘がそう、伝えにきて
泣いて、号泣して、、
7/22
調べた↓↓これを、テキパキとこなした。
私が出かける15分前の出来事で、
ささささっっとこなせた。
顎からの毒素で、汁がいっぱい出てた身体を
すぐさま洗ってくれて、綺麗になって
保冷剤の上に寝かせてあげてくれてて
帰ってから、
なっちゃんに触ると
完全に硬直してて冷たかった。
洗ってあげてる間は、フニャフニャだったよ。と
7/24
なっちゃん ありがとねーーー!
とってもとっても賢い子で、
あなた本当に猫なの??て思う事がいっぱいあった
49日が過ぎて
なつの子ども達が眠る場所へ埋葬 9/11
その日の夕方の空。 骨になったよー
そして、
10/1
やっと咲いた🌻 うちの向日葵
30㎝以上ある大輪のひまわりが咲いた
今日、
2022.10. 8 土曜日。
母が退院した。
母は、
今日から、
なんと
アパートでの
一人暮らしが
始まった!!
どうなる?????
ほんとにどうなる????