しょうじき、そんなものじゃ寒さは凌げなかった。
だけど、みんな我慢した。
12時を周り、親がどんどん迎えにきて帰ってく人が多かった。
午前4時になり、家庭科で作るはずだったちゃんぽんを配給してくれた。
そのときになると人は四分の一ぐらいの人数になっていた。
それは、けっしておいしいとわ言えるものでわなかったが、あの味は今でも鮮明に覚えている。
体が一気に温まったのも覚えている。
そして、まったく眠れないまま朝になり、友達と音楽を聞きながらすごした。
しばらくすると親が迎えにきてくれた。
友達を乗せて家に帰った。
自分でわまったく疲れてないつもりだったが、体は予想以上に疲れていたらしく、車に乗ってすぐに寝てしまった。
起きたころには家についていた。
家の外見は代わり映えはなかった。
家の一回もあまり代わり映えわなかった。
しかし、二階にあがると物とゆう物がすべて散乱していた。
とにかくひどかった。
もちろん、家に帰っても、電気、ガス、水道は止まったままだった。
オレは、毎日唯一充電のある音楽を聞きながら過ごした。
毎日、朝から買い出しに出かけて水の配給にいっての繰り返しだった。
毎日の生活をするのがこんなに大変なことだとわ微塵にも思わなかった。
お風呂も入れず、水も好きなように飲めずだった。
ある日、親に電池を買ってもらった。
携帯の携帯型充電器のためだ。
3日、4日ぶりに携帯の電源がついた。
すると、メールが30件ぐらいたまっていた。
大丈夫?や水、電気復旧した?など心配のメールだった。
嬉しかった。
最初に復旧したのわガスで次に水、最後に電気が復旧した。
普段、なにげなく使っているものなのについた時はとてつもなく嬉しかった。
友達もみんな無事だった。
しばらく学校は休みで、毎日テレビは震災や原発のことだった。
電車も動いてなくとても暇だった。
そして、震災後初めてみんなが揃った始業式。
とても嬉しかった。
みんな笑顔だった。
そして、同時にこんな震災二度と起きてほしくないと思った。
今でも、自分の家に帰れず、仮設住宅に住む人やまだ、家族の遺体が見つかってない人などがいる。
東日本大震災はすべての大切なものを奪っていくと同時にオレ達に忘れていた大切なことを教えてくれた。
これからも、この大震災が起きたことを忘れずに今を生きていきたい。
だけど、みんな我慢した。
12時を周り、親がどんどん迎えにきて帰ってく人が多かった。
午前4時になり、家庭科で作るはずだったちゃんぽんを配給してくれた。
そのときになると人は四分の一ぐらいの人数になっていた。
それは、けっしておいしいとわ言えるものでわなかったが、あの味は今でも鮮明に覚えている。
体が一気に温まったのも覚えている。
そして、まったく眠れないまま朝になり、友達と音楽を聞きながらすごした。
しばらくすると親が迎えにきてくれた。
友達を乗せて家に帰った。
自分でわまったく疲れてないつもりだったが、体は予想以上に疲れていたらしく、車に乗ってすぐに寝てしまった。
起きたころには家についていた。
家の外見は代わり映えはなかった。
家の一回もあまり代わり映えわなかった。
しかし、二階にあがると物とゆう物がすべて散乱していた。
とにかくひどかった。
もちろん、家に帰っても、電気、ガス、水道は止まったままだった。
オレは、毎日唯一充電のある音楽を聞きながら過ごした。
毎日、朝から買い出しに出かけて水の配給にいっての繰り返しだった。
毎日の生活をするのがこんなに大変なことだとわ微塵にも思わなかった。
お風呂も入れず、水も好きなように飲めずだった。
ある日、親に電池を買ってもらった。
携帯の携帯型充電器のためだ。
3日、4日ぶりに携帯の電源がついた。
すると、メールが30件ぐらいたまっていた。
大丈夫?や水、電気復旧した?など心配のメールだった。
嬉しかった。
最初に復旧したのわガスで次に水、最後に電気が復旧した。
普段、なにげなく使っているものなのについた時はとてつもなく嬉しかった。
友達もみんな無事だった。
しばらく学校は休みで、毎日テレビは震災や原発のことだった。
電車も動いてなくとても暇だった。
そして、震災後初めてみんなが揃った始業式。
とても嬉しかった。
みんな笑顔だった。
そして、同時にこんな震災二度と起きてほしくないと思った。
今でも、自分の家に帰れず、仮設住宅に住む人やまだ、家族の遺体が見つかってない人などがいる。
東日本大震災はすべての大切なものを奪っていくと同時にオレ達に忘れていた大切なことを教えてくれた。
これからも、この大震災が起きたことを忘れずに今を生きていきたい。


