さて、もう1月も10日過ぎました。

 

改めまして

 

明けましておめでとうございます。

 

 

 

仕事は4日からスタートしていますが

 

すぐに3連休もあり、

 

ようやく始動した感ありですね。

 

皆様は良いお正月を

 

お過ごしでしたでしょうか?

 

私は今年は、初めて母と二人の

 

大晦日を過ごしました。

 

父亡きあと、母が一人で年越しを

 

していましたので・・・

 

一緒に、と思いました。

 

が、彼女にとっては

 

年末年始も日々の暮らしの

 

単なる過程であり

 

何ひとつ非日常のことは

 

なかったようですあんぐりうさぎ

 

せっかくだからと

 

元旦はお雑煮とおせちは

 

いただきましたけど。

 

おせちは恒例のメグさんお手製です。

 

私じゃなくて・・・うずまき

 

色とりどりのおせちって

 

見るだけで美しいですねキラキラ

 

 

 

さて、来週17日には

 

阪神大震災から22年目が

 

巡ってきます。

 

当時、私は六甲アイランドに

 

住んでいました。

 

1990年から2000年まで、

 

バブルの頂点の時代から

 

バブル崩壊・・・

 

そして阪神大震災、

 

1997年の転職など

 

激動の30代のすべてを

 

包み込んだ街でした。

 

30歳で引っ越しと同時に、

 

神戸ファッションマートが

 

オープンし、大理石のフロアで

 

のんびりとレセブション業務を

 

させていただいていましたチョキ

 

が、3年で事務所クローズ。

 

当然、解雇・・・アセアセ

 

そう、崩壊していたのです。

 

そんなこんなで、

 

六甲出版へ転職し、、、

 

また、今のパコムへ転職し、、、タラー

 

 

バブルの時代にキラキラ

 

(今も、、、ですが)、

 

とても親しくしていた島内の

 

二組のご夫婦と

 

数年ぶりに食事をしました。

 

 

3組で6人

 

「六アイハンダース」です。

 

六アイ時代は、、、

 

いつも一緒に食事をしたり

 

遊びに行ったりしてましたね。

 

 

震災の朝台風

 

たまたま堺の実家に帰っていた

 

マリちゃんから安否確認の

 

連絡をもらい、

 

夜には食糧を携えておにぎり

 

堺から戻ってきてくれました。

 

もう一組のヤスコ夫妻の自宅は

 

高層住宅だったし、

 

電気が通じなかったので

 

我が家へ避難していました。

 

他にも友人家族など

 

総勢10名がしばらく

 

避難していたわけです。

 

私たちだけだったら

 

途方に暮れていたかもしれませんが、

 

10人もいると、役割分担が

 

自然とできてくるものです。

 

男の人たちは、

 

あの瓦礫のなか、

 

全壊した芦屋の実家まで

 

食糧を取りに行ってくれたり・・・。

 

 

久々に再会した6人は

 

そんな話題が尽きませんでした。

 

「ホントは怖かったよ!!

 

あの家の中に入るの~~」と

 

今更の本音です。

 

火事場の馬鹿力って

 

言いますけれど

 

究極の時の

 

人の判断力や力って

 

想像を超えるものがあるのでしょう音符

 

今年も何回かは

 

そんな力を出さなきゃいけいときが

 

あるんだろうね。

 

 

さぁ、今年はトリ年ヒヨコ

 

大切なものは、

 

待ってるばかりじゃなくて

 

自ら、「トリ」にいきましょう流れ星