双極性障害
今から一年以上前の高校2年生の夏のことです。夏休みの過度なダイエットを成功させました。約20㎏の減量。もちろん夏休みを明けたころにはみんなの視線が突き刺さります。「痩せた!?」「どうしたの!?」それが心地よいものだったらいいものの、その頃の自分は違いました。じゃあ前はなんだったの??正真正銘のひねくれものです。それからというもの、周りの視線が痛いくらいに感じるようになりました。学校に行くのが嫌になりました。教室でもひっそりと泣く日々が続きました。そして、だんだんと学校にも行けなくなりました。不登校になったのに加えて、鬱状態の日々が続きます。何もしたくない、動きたくない、自然と涙も出てくるようになりました。なんで生きてるんだろう。ここにいる意味って何だろう。見かねた母が心療内科を勧めました。医師の診断は適応障害。頑張りすぎ。考えが大人だ。と言われました。私はその時、全く病気だと信じたくありませんでした。何もしたくないのはただの甘え、ただのわがまま。自己嫌悪に襲われていました。それからは、薬を増やしてもらったり減らしてもらったり。ある日の病院の帰り、ふと、治らないんじゃないかという焦りが私を襲いました。「薬やめてもらえませんか?」薬の量が少量になってきた頃のことです。先生からの、変わったことがあったらすぐに来てね。という言葉を受け、最後の病院をあとにしました。これでもう病気じゃない。もう治ったんだ。数か月間は何事もなく過ごせていましたが、ある日を境にまた鬱状態が続くようになりました。次は病院を変えてみたら?母の提案で病院を変えて受診することにしました。入院してもいいレベルの鬱状態です。それを聞いた瞬間、なぜか涙があふれ出てきました。それからは、薬をまた飲み続ける日々の始まりです。病名は適応障害でした。しかし、躁状態や鬱状態を繰り返すようになり、双極性障害の治療をすることに。薬を飲んでいても、死ぬことしか考えられないようになっていました。どうやって死のう。いつ死のう。遺書書こうかな。ベルトを見ると首を絞めて、包丁を見ると腹にあてたり。実際に遺書も書きました。でも怖かった。死ぬのがとてつもなく怖かった。そのことを母にぽろっと本音を言ってしまいました。あんたが死ぬんやったらそん時は私も一緒や。絶対に一人で死なせん。衝撃でした。私には母がいる。やっとそのことに気づきました。母のために生きる。今日笑いあった友達のために生きる。好きな人のために生きる。目的はなんでもいいと思います。ただ生きるだけで誰かのためになる。自分のためになる。そう気づけたのはここまでずっと付き合ってくれた母がいたから。私が卒業できるように今も頑張ってくれている先生方がいたから。しんどい時と楽しい時を見分けてそっと寄り添ってくれた友達がいたから。