裁判資料ではさすがに書けないけど、ここ数か月自分自身と向き合って思うところがあったので書きなぐってみた。まだ足りないと思うけど、自責で考え、自分自身と向き合うことが今もこれからも必要かなと思う。TKKKさんにも言われましたが、何かしら相手をそう思わせた原因もあるのだろうと。どちらかが圧倒的に悪いなんてこと世の中にそんなにないわけだから。
子供に会いたい気持ちも前ほど衝動的ではなくおさえられるようになってきたが、やはり子供にとっても突然父親がいなくなっているのでそこはせめて一言、「少しの間会えなくなるけど・・・」などしきりの挨拶なりやりとりなり入れたい。子供にとっての父親が私であることは変わらないし子供なりに気を使ってふるまうもののやっぱり突然いなくなっていることに疑問は持つだろうから。
2015年9月14日
遅いけど、この数ヶ月自問自答を繰り返す中で昨日、光が挿したのように、貴方の立場にたつことができた。徐々にではなく、自問自答を繰り返す中で昨日突然。明確に。そうしたら、立場がわかったら、苦しくなってきた。許したいけど許せない。許せるんなら許したい、信じれるものなら信じたい。お願いやから信じさせてよって思っている気持ちが聞こえてきます。そんななか、人間不信の中、家族の為を思って我慢してくれた。本当の意味で貴方の立場にたち切るということができてなかったということに気づきました。はずかしながら、前は立ちきれていなかったということに昨日気づきました。
あとのまつりであることはわかっています。ただ、自分の中で明確に視界が変わったので備忘録としてメモをしました。私も悪いけど、貴方の当たりも正直ちょっととげとげしかったというのも正直あって俺も子供なので全て受け止めきれず、反射的に感情的に反応してしまっていたというのもあるのだけど、信じれない、許せないことの苦しさ、自分自身とずっと葛藤してくれてたんよね。そこに自分はきづけなかった。寄り添えなかった。本当の意味で理解出来ていなかった。寄り添うって言う表現すらおこがましいけど。全身全霊で細心の注意を払って、泣きの一回でもらったもろくてすぐ壊れてしまうかもしれないチャンスを大事に大事に育てるということができていなかった。
苦しくて苦しくて逃げ出したいところを頑張ってくれた。まだ不十分だと思うからもう少し自分自身と対話してみるつもり。時間なんて関係ないと思ったけど、時間が少しだけ自分自身と向きあわせてくれた気がする。そして、立場に立った瞬間苦しくなってきた。信じれないことの辛さ。味あわせてしまってごめん。その中で自分自身を律することの理不尽さを感じながらも向き合ってくれてごめん。変われてなかった。どこかでこんなにやってるのにって思ってた。仮にいまの自分の状態のようになっていたら、一緒にいる時の行動や思考が違っていたかなと思う。最近、精神的なものだと思うけど目の裏がいたくて一気に受け止めると壊れてしまいそうになっているのだけど、貴方が感じた痛みに比べたら大したことないんよね。。
ありがとう。もう、切り替えて、前を向いて進んでいるのだと思うけど、過去の立場には立てたきがするけど、今の貴方の立場、どんなことを感じながら毎日を過ごしているかという立場にはまだ立ちきれてないとおもうけど、きっとまだ苦しんでるのよね、きっと。仕方なくその道を選ばざるを得ない環境に追い込んでしまったことに申し訳なく思います。貴方は感情的になる部分は自分でわかってるとおもうけど、心のなかは貴方だって本当は信じたかった。貴方だってこの道は選びたくなかった。できることなら選びたくないと思って耐えてくれたのに、その道を選ばせてしまったのよね。きっと今子どもたちをみないといけない責任感だけで強く生きていかねばという気持ちだけで自分自身を突き動かしているのよね。できればもうこんな気持になりたくないから関わりたくないって思っているけど、どうしても気持ちの行き場がなくて許せなくて今の行動になってるんよね。ごめんなさい。
今はどんな気持ちでいるのだろうと想像してみるもまだ立ち切れていません。でも想像してみたい。俺といる時のストレスからは開放されたから、信じられない苦しみを味わう場からは離れたから日々の生活のベースはなんとなくストレスフリーになっている、友達と会う時もなんとなく明るく気持ちが楽になったんじゃないかなと思う。でも雨の日とか、休みの日とか、子供が寝ないときとか、平日仕事終わってから寝かしつけるまでの怒涛の流れとか。寝かしつけてからの洗濯してるときとか、平日洗濯や掃除ができなくて土日にその時間が が当てられて子供を満足に外に連れ出せないときとか、どっかいこうよと言われて疲れていけないときの申し訳ない気持ちとか、いけても近場の公園になってしまう時とか、前のストレスフルな毎日に比べたらマシって思うかもしれないけど、時折、辛いなぁ、でも頑張らないとなぁ、本格的に頼れる人がいるわけでもないしと思って一人で考えている時があるのでなないかと。またこれまでとは違う、逃げられない、自分がしっかりしないといけないストレスからイライラしてしまうことも正直あるのではないかと。とにかく、立場にたててなかった。「お願いだから信じさせてよ、私だって信じたいよ」という心の叫びを耳を澄ましてきけてなかった。ギリギリ糸1本のところで耐えてくれている貴方の気持ちを貴方の立場にたってわかってあげる事ができなかった。今なら前よりわかる気がするけど、この状況にならないと分からない人間だったのだなと痛感。
まだ、そぎ落とせそうな気がするので引き続きやってみよう。
敵は妻ではなく、自分自身なのだと。
そのプロセスの中で少しそぎ落とせて、「私が会いたい」ではなく
「突然父親と断絶した子供が心配」と子供視点で考えるように
視界が変わってきた。
子供に会いたい気持ちも前ほど衝動的ではなくおさえられるようになってきたが、やはり子供にとっても突然父親がいなくなっているのでそこはせめて一言、「少しの間会えなくなるけど・・・」などしきりの挨拶なりやりとりなり入れたい。子供にとっての父親が私であることは変わらないし子供なりに気を使ってふるまうもののやっぱり突然いなくなっていることに疑問は持つだろうから。
2015年9月14日
遅いけど、この数ヶ月自問自答を繰り返す中で昨日、光が挿したのように、貴方の立場にたつことができた。徐々にではなく、自問自答を繰り返す中で昨日突然。明確に。そうしたら、立場がわかったら、苦しくなってきた。許したいけど許せない。許せるんなら許したい、信じれるものなら信じたい。お願いやから信じさせてよって思っている気持ちが聞こえてきます。そんななか、人間不信の中、家族の為を思って我慢してくれた。本当の意味で貴方の立場にたち切るということができてなかったということに気づきました。はずかしながら、前は立ちきれていなかったということに昨日気づきました。
あとのまつりであることはわかっています。ただ、自分の中で明確に視界が変わったので備忘録としてメモをしました。私も悪いけど、貴方の当たりも正直ちょっととげとげしかったというのも正直あって俺も子供なので全て受け止めきれず、反射的に感情的に反応してしまっていたというのもあるのだけど、信じれない、許せないことの苦しさ、自分自身とずっと葛藤してくれてたんよね。そこに自分はきづけなかった。寄り添えなかった。本当の意味で理解出来ていなかった。寄り添うって言う表現すらおこがましいけど。全身全霊で細心の注意を払って、泣きの一回でもらったもろくてすぐ壊れてしまうかもしれないチャンスを大事に大事に育てるということができていなかった。
苦しくて苦しくて逃げ出したいところを頑張ってくれた。まだ不十分だと思うからもう少し自分自身と対話してみるつもり。時間なんて関係ないと思ったけど、時間が少しだけ自分自身と向きあわせてくれた気がする。そして、立場に立った瞬間苦しくなってきた。信じれないことの辛さ。味あわせてしまってごめん。その中で自分自身を律することの理不尽さを感じながらも向き合ってくれてごめん。変われてなかった。どこかでこんなにやってるのにって思ってた。仮にいまの自分の状態のようになっていたら、一緒にいる時の行動や思考が違っていたかなと思う。最近、精神的なものだと思うけど目の裏がいたくて一気に受け止めると壊れてしまいそうになっているのだけど、貴方が感じた痛みに比べたら大したことないんよね。。
ありがとう。もう、切り替えて、前を向いて進んでいるのだと思うけど、過去の立場には立てたきがするけど、今の貴方の立場、どんなことを感じながら毎日を過ごしているかという立場にはまだ立ちきれてないとおもうけど、きっとまだ苦しんでるのよね、きっと。仕方なくその道を選ばざるを得ない環境に追い込んでしまったことに申し訳なく思います。貴方は感情的になる部分は自分でわかってるとおもうけど、心のなかは貴方だって本当は信じたかった。貴方だってこの道は選びたくなかった。できることなら選びたくないと思って耐えてくれたのに、その道を選ばせてしまったのよね。きっと今子どもたちをみないといけない責任感だけで強く生きていかねばという気持ちだけで自分自身を突き動かしているのよね。できればもうこんな気持になりたくないから関わりたくないって思っているけど、どうしても気持ちの行き場がなくて許せなくて今の行動になってるんよね。ごめんなさい。
今はどんな気持ちでいるのだろうと想像してみるもまだ立ち切れていません。でも想像してみたい。俺といる時のストレスからは開放されたから、信じられない苦しみを味わう場からは離れたから日々の生活のベースはなんとなくストレスフリーになっている、友達と会う時もなんとなく明るく気持ちが楽になったんじゃないかなと思う。でも雨の日とか、休みの日とか、子供が寝ないときとか、平日仕事終わってから寝かしつけるまでの怒涛の流れとか。寝かしつけてからの洗濯してるときとか、平日洗濯や掃除ができなくて土日にその時間が が当てられて子供を満足に外に連れ出せないときとか、どっかいこうよと言われて疲れていけないときの申し訳ない気持ちとか、いけても近場の公園になってしまう時とか、前のストレスフルな毎日に比べたらマシって思うかもしれないけど、時折、辛いなぁ、でも頑張らないとなぁ、本格的に頼れる人がいるわけでもないしと思って一人で考えている時があるのでなないかと。またこれまでとは違う、逃げられない、自分がしっかりしないといけないストレスからイライラしてしまうことも正直あるのではないかと。とにかく、立場にたててなかった。「お願いだから信じさせてよ、私だって信じたいよ」という心の叫びを耳を澄ましてきけてなかった。ギリギリ糸1本のところで耐えてくれている貴方の気持ちを貴方の立場にたってわかってあげる事ができなかった。今なら前よりわかる気がするけど、この状況にならないと分からない人間だったのだなと痛感。
まだ、そぎ落とせそうな気がするので引き続きやってみよう。
敵は妻ではなく、自分自身なのだと。
そのプロセスの中で少しそぎ落とせて、「私が会いたい」ではなく
「突然父親と断絶した子供が心配」と子供視点で考えるように
視界が変わってきた。
先日、子どもたちへのメッセージをSNSで残したいと書いたところ
なくなるかもしれないSNSよりもこちらのほうがよいでは?と、
こちらの小説をご紹介頂きました。
一気に読みきりました。
ほぼほぼ境遇が同じです。
ころきりさんありがとうございました!
http://secret.ameba.jp/decchiagedv/amemberentry-12065584781.html