会社で生きる上で、上司の信頼を得ることの意味は認めたくないが大きいと思う。
自分が若かりし頃、上司の信頼を得なくても成果を出せれば大丈夫という認識があった。
でもそれは間違いだった。
自分が実際に会社で見た中でこんなことがあった。
会社内で部署は違えど、同じような業務をしているAとBがおり、
A・Bの上長であるCがいた。
Aは人当たりのいい、世にいう陽キャといわれる人種、いろいろなことをそつなくこなせるタイプ
Bはちょっと要領が悪く、あまり融通が利かないタイプ、世にいう陰キャ。
Aは要領よく立ちまわり、物事をてきぱきこなすのでCの信頼も厚かった。
一方、Bは要領の悪さからか、Cもきつく当たることもあり、事あるごとに何か言われていた。
とても印象に残った事があった。
AとBが同じような内容の稟議を回付していたことがあり、
自分が後で見たとき、偶然、AとBの稟議の内容で同じところに誤りがあった。
この稟議、
Aは誤りを素通りしてすんなり承諾されたが、
BはCから誤りを指摘され、決裁までに何度も往復する羽目になった。
双方、同じような誤りがあったのに結果が異なったのはなぜか。
理由は簡単でCの信頼があったか否かの違い。
Aは信頼されていて、Aの作ったものなら大丈夫という思い込みでスルーされ、
Bは信頼されていないがゆえに注意深く見られて、誤りが見つかり、
さらにそれ以外の本来なら指摘されないようなことまで指摘されていた。
言葉にするとこれだけだが、影響はとても大きい。
注意深く見られてしまうことで、本来見られないような細部まで見られてしまい、仕事のスピードに大きく影響を与えるのだ。
Bも決して悪い面だけではない。注意深くみられることで致命的なミスを回避できるという利点はある。
ただ今の社会は「巧遅は拙速に如かず」の風習があるように感じる。
やった仕事に同じ誤りがあっても、Aが評価される一方でBは落ちていく流れになってしまう可能性が高いのだ。
会社内での成果の良し悪しは純粋に仕事の成果だけで決まるものではない、
上司の信頼による効果というのは、やはり大きいのだということを思い知った出来事だった。
純粋な成果のみで勝負したいのであれば、
会社に属するのではなく、いつかは個人として独り立ちしなければ成立させることはできないのかもしれない。