社会福祉学研究科1年 折井史仁
社会福祉学研究科1年 塚本慧子
社会福祉学研究科1年 鳴海遼
2018年10月30日私たちは、弘前市斎場を訪れた。
青森県弘前市西茂森にある長勝寺まで続く並木道沿いに立つ寺院が林のように建っていることから禅林街と呼ばれる33の曹洞院の寺院の間を抜け、道なりに進むと門が見え、その奥に広い駐車場とモダンな建物が見える。弘前市大字常盤坂2丁目にあるこの建物が弘前市斎場である。
弘前市斎場は、昭和58年(1983年)に前川國男によって設計され建てられた、弘前市における前川最後の作品となった8作目の建物である。平成26年2月28日には、弘前市景観建造物に指定されている。敷地面積は7,034㎡、建築延べ面積は1,629㎡、鉄筋コンクリート造平屋建一部二階建て、屋根は耐候性鋼板段葺というつくりである。施設の内容は、火葬炉6基・動物炉1基、炉前ホール、収骨室、霊安室、事務室、事務休憩室、作業室、一般待合室、有料待合室5室、待合ホール、駐車場(35代収容)となっている。
外観はコンクリート打込大型棟瓦タイルで仕上げられた外壁と奥に深く押し込んだ窓で構成され、青森県でも豪雪地帯に指定されている弘前の積雪による影響も考え、勾配屋根の軒先は壁面から大きく張り出され、積雪による影響を最小限に止めるとともに、建築物全体が重厚性を増し周囲との調和がなされてる。また、車寄せを深い軒の勾配屋根で覆い、格子状の梁と屋根スラブを打放しコンクリートで仕上げ、そのまま天井に用いる手法をとっている。少し離れたところからは、津軽富士とも言われる岩木山が望め、建物と一緒に岩木山が写る写真も撮影されている。残念ながら、私たちが訪問した日の天気は雨だったため岩木山は見ることはできなかった。
建物の中は、橙色の電飾で、全空間がお線香の匂いで充満しており、落ち着きと懐かしさを感じさせていた。内部はエントランスホールから右手に傾斜天井の西側頂上部にトップライトが設けられた収骨室が広がる。左手には待合ロビーがあり、傾斜のついた渡り廊下の先に待合室が配置されている。建物側面のほとんどがガラス張りになっていれ外に広がる庭園が広がっている。待合ホールからは炉前の様子が見えるよう設計され故人を偲ぶ遺族、参列者への十分な配慮がされた設計になっている。火葬炉は直線に配置せず、中心をやや後方にずらすことで待合ホールからそれぞれの火葬炉前の祭壇が望めるよう考えられている。
斎場の壁にあった日本建築家協会の第9回JIA25年賞受賞作品とかかれたパネルには、『遠くに岩木山を望む。建物は、炉然ホールと降雪を配慮した格子梁の広いエントランスポーチと連続した大きな勾配屋根で覆った火葬炉棟を「黄泉の国」とし、リンゴ畑に面した打ち込みタイル外壁・陸屋根の待合棟を「現世」とし、これらを繋ぐ渡り廊下を「よもつひらさか」と喩え、配置されている。また、炉は岩木山から迫り出した溶岩を穿った洞窟の中に厳かに置かれ、拾骨室は、天空光に導かれ魂が岩木山へと帰るとの思いが込められている。』と記載されている。火葬の始まりは、遺体を古墳に納めていた時代ともいわれ、古墳の中にはかまど塚などの呼ばれる火葬様式のものが存在していたそうだ。遺体を傷つけることを罪とする価値観があった時代でも、火葬によって魂を天へと送るという思想を持つ人がいた。青森県津軽地方では、特に岩木山は山岳信仰の対象とされ、安寿・厨子王の伝説を残す山で、安寿姫が祀られている。旧暦の8月1日には五穀豊穣と家内安全を祈願して深夜に山頂を集団登拝してご来光を拝むお山参詣という例大祭も行われている。昔から信仰の対象であった岩木山に魂が帰るという思いも弘前に住む人たちの願いなのかもしれない。
収骨室は天井が高く薄暗く壁や床も暗い色で統一されている。一方でエントランスから廊下、待合室にかけての壁は全体的に白っぽく、床の模様も少し違う。生きている人と亡くなった人、日常と非日常を、光と影のような色使いで再現しているようにに思えた。
外には動物炉があり亡くなった犬や猫も火葬するができる。また、1年間は動物炉の目の前にある動物用のお墓に卒塔婆を立てて供養することもできる。
弘前市斎場では一人を燃やすのに約60ℓの灯油を使っており、一日平均7人で420ℓ、年間で1000万以上もの灯油を使っているのである。これは環境問題にも影響があり、人間を火葬することによって出るCO2は一人が一年間に消費する量と同程度だと言われていて₍₁₎、近年では環境に配慮したエコ火葬(100度近くに温めた水酸化カリウム溶液で溶かす液体火葬)なるものまで出てきている₍₂₎。
日本人は自分が死ぬことに関して深く考えたり、話自体をすることが少ないが、環境問題などを考えると、自分の死後に関してエコロジーの意思表示をすることも大切なのではないだろうか。
人が死ぬと葬祭が執り行われる。その時に関係してくるのが宗教である。世界の葬祭を調べると、それぞれの国に特徴は見られるものの、宗教によって多少の違いがあることが分かる。ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教などのインドの宗教では、野外の火葬を定めている。これらの宗教は、身体というものを霊魂を運ぶ道具であり、容器であると規定している。霊魂は既に去ってしまったものであり、死んでしまった身体が聖なるものとみなされることはない。東洋の宗教において火葬が倫理にかなったものとされる所以である。シーク教はヒンドゥー教と様々な文化的共通点を持つため、火葬を好む。また、遺灰は聖なる河へと流す習わしがある。
キリスト教おいては、歴史的に火葬が推奨されることはなかったが、現在は、様々な宗派に受け入れられている。かつては火葬に賛同していなかったローマカトリック教会が1960年に、1870年にプロテスタンントが、伝染病や一人ずつ墓穴を掘る土葬の時間がかかりすぎる点などをきっかけに火葬も許されるようになり、合理主義者や古典主義者たちが、肉体の復活や死後の世界といったものの存在を否定するために火葬に賛同し始めた。現行のカトリック典礼規則では、個人の遺族から要望があった場合、葬送ミサが終わるまで火葬を行わないように定められている。一方で、イスラム教、ユダヤ教、ゾロアスター教、バハイ教などの宗教では火葬を禁じている。このように、宗教によって火葬か土葬が決められていることが多い。
日本では、宗教というよりも戦後の高度経済成長期における都市化で、特に都市部でお墓をつくる土地が確保できないという問題が深刻になり、火葬が普及したと言われている。また、日本の葬儀は仏式で行われることが多いが、日常的に宗教にこだわる人は比較的少ない国と言える。そのため、埋葬方法にも強いこだわりがなく合理的で無難なものとして自然に受け入れる人が多いという面も日本で火葬が一般的に行われる所以である。
私は、この斎場の見学をした約1ヶ月後、祖父の来と来の一報を受け取り、祖父のいる福島県は伊達市へと赴いていた。祖父はその後、親族に看取られながら息を引き取り、老衰死という形で生涯を終えた。数日後、葬式を終えた祖父の遺体は伊達市の斎場へと運ばれた。そこは山の奥にあり、周りには何もなく、親族が集まって最期の姿を見届けるにはあまりにも窮屈なほど狭い空間だった。火葬は約1時間半かかり、遺骨を各人の手で収める時も、場所が狭く、用が済んだものは外へ出て待つという形になった。弘前の斎場と比べると、故人を弔う余裕のある場所とは言い難い空間であった。
青森県出身の有名な文学者である太宰治は、自殺を繰り返してその生涯を終えたことでも有名である。そんな太宰的な退廃した死への観念を覆すかのように、弘前の斎場は、最期を看取る場として、優しく安穏な空間を確立させている。また、寒さの厳しい季節が続く地域だからということも関係しているのではないだろうか。
この斎場を設計した前川國男は、モダニズム建築を広めたとして有名な人物であるが、弘前市斎場に関しては、伝統的な構造建築を用いて、斎場という特殊な建築の重厚性と柔和な雰囲気の調和に成功している。それはまるで、故人の死を悲しむことと尊ぶことが入り混じった複雑な心情を表しているように感じられた。このような点においても、弘前市斎場は、火葬をするという事務的な場所ではなく、一生を終えた人との最期の儀式を行うことに相応しい建築物である。
【参考文献】
1.樹木葬辞典(2018)『エコ葬とは?火葬時のCO2削減で死後も環境保護のメッセージを』, < https://樹木葬辞典.com/column/708> 2018年11月22日アクセス.
2. 心に残る家族葬(2018)『CO2やダイオキシンを排出する火葬よりもエコな火葬で注目の「液体火葬」』, < http://www.sougiya.biz/kiji_detail.php?cid=877> 2018年11月22日アクセス.
3、岩木観光協会HP 『お山参詣について』 http://www.iwakisan.com/oyama-sankei/2016/12/9/ 2018年11月22日アクセス
4、せすにっき『火葬における宗教的見地』http://d.hatena.ne.jp/cess/20090201/p6 2018年11月28日アクセス.
5、おそうしき読本 『日本ではなぜ火葬なのか?』http://ososhiki.bellco.co.jp/knowledge/日本ではなぜ「火葬」なのか?/ 2018年11月28日アクセス.
