少しずつ、、少しずつ



自分の現在地、自分の姿を



理想の姿から

実際の自分に戻していけてる気がします。








かっこいい🔥



救いたい 救われたい 

そのイコールが今


優しく剥がしていくんだよ

固い理論武装 プライドの過剰包装を




🍌

もうちょっと待っててね


自分は果実でいったら

特別になりたい平凡なバナナ🍌(バナーヌ)



ってところまで落とせてきた。

脳内のキラキラしてる自分を

こうでありたい、こうでありかった自分を


わたしは特別になりたい平凡なんだなと。





そして、、

わたしのしぶとさは

私の生命力は


吐き気がするし考えたくないけど

忌み嫌ってるジー(虫)

どこにいても忌み嫌われるジーだとしたら、、



考えたくない。

考えたくはないよ。

想像はできないししたくない。



でももし、

自我の強さ、生命力、しぶとさ

がそれと同じだとしたら、、


仮に私がそれだとしたら

私が人から嫌われる心配っているんだろうか?






近くにある家具屋さん。




謎じゃない?


なんでHeaven??笑




見た目は倉庫をお店にしたみたいな感じ。







わたし。




この顔


この身体



表情も格好も

背景と全然合ってないけど…




メガネの反射だけキラキラしてるか🤩






私はこの顔


この身体で動いてる



この顔、この身体で生きてる








この感じ、、肚に意識がなさそう

ぼやっとしてる



でも生きている






わたしはたぶん、過去、

死にかけたことがあるんじゃないかなと思う。


(10年以上前だけど、入院中に。

トイレに行こうとしたら意識がなくなり、起きたらベッドに寝てて。医療従事者と親がぐるっと周りにいて。ドラマで見るような感じ)



いつかはしぬ

いつかはしぬ


いつかはしぬんだよね


それに、、




👴👵👨👧

わたしは家族の中で自分って人間を認識されてなかったんだと思う。親から、兄から。


母から好かれてなかったは理解したと思う。

(まだ悲しいとか寂しさが残ってると思う)


でも、父からは好かれてたと思ってたけど、

好かれてるかどうか以前の問題っていうか。


たぶん、、認識されてるようで

認識されてなかったんだと思う。


形も名前も認識されてたけどね

心がある存在としては認識されてなかったというか。人間としては認識されてなかったというか。


なんて言ったらいいんだろう。



ややこしいんだよなぁ。


私の親も兄も、私の生まれ育った家庭は見た目は問題なかったと思う。


精神科や心理に詳しくない人、

家庭環境が普通だった人、家庭環境がおかしかったけど自覚がない人に話したら、何言ってるんだろ?って感じだと思う。



いい家族っぽかった。

私の生まれ育った家族は。

(母、父、兄)


ネグレクトされたとか

手を挙げられたこともない。


漫画の毒親みたいな感じじゃない。

母の愚痴が止まらなくて頭が痛くなるとか、そこまでひどくなかったし。いや、それはあったのかな?

当たり前にずっと母、父、兄、家族を庇ってきたからよくわかんないんだよね。


恥だと思っていたから。

家族の弱いところ?恥を晒しちゃいけないって当たり前に思っていたからなぁ。



お金で不自由したこともない。

家族みんなでご飯食べたりしてた。

目に見える虐待は何もない。


家族で旅行行ったり「家族」してた。


「いいお母さんだね」「優しい」

「ようこちゃん(娘)のこと大好きなんだね」

と言われたり。


父は当時の大手企業に勤めてたから、田舎の親戚からは一目置かれていた。定年まで勤めた。


父、お酒飲んでて色々やらかしていたけどね。

でも、人に暴言吐くとか暴れるんじゃない。

自転車に轢かれたり、警察に保護されたり

そんな感じ。あとはちょっと書きづらい。


でも暴力的とか他害じゃなかった。



兄も完璧に見える。心以外は。

兄は日本で言えば高学歴にあたると思う。職歴も文句のつけようがない。大手企業に就職、その後公務員、その後日本では有名な大学の教師になった。

定年まで勤める予定だと思う。

結婚して、子供も二人(男女)いる。

東京に家も買ってる。夫婦仲は良さそう。

家族仲も良さそうに見える。


いい息子。父に反発してたようだけど、父や母から望まれていたことを全部やったんじゃないのかな。




私の育った家庭は、

外から見たら普通、いい家庭。

子供の私から見ても、この家はおかしいとか思ってなかった。


でも、わたしはさみしかった。


わたしは親から、兄から

自覚して無視されたわけではないと思う。


わたしは遅くても五歳からは、家では泣かないようになってた。怖くても怯えてる様子は出さないようになった。

母からそれを求められてきたと思う。


母はもうその頃から、もしかしたら私を妊娠してた頃から、精神疾患だったのかなぁ。

私が四歳だと母は四十前半だったんだけど、当時だと更年期も重なってたのかも知れない。

とにかく、母は不安が強かった。


母の心がここになかった。

父の心もここになかった。


母親の心と身体には過去のショックが残ってたと思う。混乱、恐怖、不安、悲しみ、怒り、やりきれなさが結構あったと思う。


父親も寂しさが強かったと思う。

甘えたい気持ちや寂しさ、あきらめ。


親の中に悲しみが残っていると、

心理的虐待になるらしい。

複雑性PTSDの自助グループで知った。

(詳しい定義はわからない。でも、悲しみが残ってるっていうのは一時的な悲しいではないと思う。一時的に悲しいって誰でもあるから)




…寂しかったなぁ



私を見ているようで見ていない

私という人間がここにいることを

認識されてるようでされていない




寂しかった

とっても

とっても寂しかった




でも、見られてるようで見られていなかったんなら

誰の目を気にするんだろうわたしは


誰も私を見ていないなら

わたしという人間を見ているようで見ていないんだとしたら、、誰の目を気にするんだろう。



私を見ていない人(母、父、兄、親戚)からの評価からって真っ当だったんだろうか。

見ていないのに?


…できるわけがないんじゃない?

わたしへの評価も感想も。

私の家族への感想も、間違ってるよね。


そもそも不安が強い人の評価ってあてになる?

何も見えないよね。不安な時って。

冷静じゃないから。




もし、わたしがジーだったら、、

ジーの立ち位置だったら、

そもそも嫌われてる。誰の目にも入ってない。


人の目を気にする必要があるのかな