あっ!!!
という間に8月になっていました!
サラリーマン側の仕事に注力していたら、
すごい速さで7月が過ぎ去っていきました。
転職して一か月、まずは「つかみはオッケー👌」かなぁ...
支社統括&プロジェクトマネージャー、
IT業界では、本来そのような二足のわらじはこなせるものではないのですが、
「これからどんどん拡大していくぞ!」という時期ならでは、ですかね。
さて、
そんな笑けるくらい、自分の時間が確保できない状況で、もう一つわらじをはいています。
私の居住する長久手市、
現在、人口がうなぎ上り中です。
推計では、2050年まで増加していく見通しなのです。
住みやすい町ランキング、平均年齢が若い町ランキングでも、
全国で1位、2位なんていう、こちらもまさに「これからどんどん成長していくぞ!」という
段階です。
そんな長久手市では、現在、「ひと・まち・しごとに関するワークショップ」をやっています。
現在、私は、そのワークショップに参加させていただいています。
4つのチームに分かれ、それぞれに与えられたテーマを議論して、
いま、どういうことができるのか、ということを楽しく考えていくものです。
その共通のテーマは、少子高齢化です。
いくら、上り調子の長久手市も、いずれは、その全国的な流れに追随していきます。
2060年には、高齢者といわれる方々の人口比率が26%を超える見通しです。
ここで、私が常に感じている疑問があるのです。
それは、
「少子高齢化が課題である」
という言葉。
確かに、課題なのかもしれません。
そこで生まれる問題も多々あります。
でもね、
"課題"という言葉は、人によっては、"問題"という言葉に置き換えてしまう人が
非常に多いのです。
そしてそれは、非常にネガティブなイメージを持たれることが多いです。
課題、問題とされてしまっているこの現状で、ふと考えるのは、
「そっか、私たちが課題なんだよな」
と思わされてしまう、お子さんのいない方や、高齢者の方は、どんな気持ちになるのでしょう。
私の短絡的な頭で考えると、「プレッシャー」だったり、「疎外感」だったり、
「自分の存在は迷惑をかけている」という思いに至ってしまうのではないかと懸念してしまいます。
・労働人口が減少する⇒税収やGDP、経済成長率の減少
・年金制度が破たんする
これ、全部その人たちのせいではないですよね。
単純に言えば、自然の摂理です。
医学や科学進歩、国の仕掛けの成熟度から、生存へのリスクが相当少なくなっている
日本のような国々においては、あたりまえに起こる"現象"です。
じゃぁ、ちょっとそんな状況をポジティブに考えてみたらどうなるのでしょう。
「我が長久手市は、2060年までに、高齢者比率を推計の26%から、30%になる町をめざします!」
"高齢者の方々、どんどん長久手市にきてください"って、考えてみるんです。
26%になるから"やばい"、じゃなくて、30%になるように"やれることをやろう"のほうが、
なんとなく、おじいちゃん、おばあちゃんも自分の存在価値を認めてもらってるような
気がするのですが・・・。
(私の変な感覚なので、語弊があったらすみません)
さて、そうなったときに、
例えば、今後ますます、健康意識の高まりや、医学進歩があったとして、
その30%のうち、半数は、まだ健康で、モチベーションも高くて、労働人口にカウントできる、
となれば、実質的な高齢者比率は15%になって、いまより減るじゃん、とか。
その15%の人は「年金なんていらん、おいしいものを食べられる分だけ働くからええわい!」、
ってなれば、そりゃ、いいんじゃないかなぁ、なんて思うわけです。
その仕掛けづくりを、いまのうちに初めていくのであれば、すごく前向きなことが、
たくさん考えられます。
そして、そのうち、一つでも実現すれば、いっきにいろんな課題解決が進んでいくことは、
私自身、小さな世界ですが、サラリーマン側の経験から、知っています。
ワークショップでいっしょのチームには、大学生の方やお若い方もいらっしゃるのですが、
上述の私の発想より何倍も柔軟です。
ただ、そのきっかけは、私くらいのおっさんやおばちゃんが出すべきなんだろうと思います。
医療機関が足りない、医師が足りない、
保育施設が足りない、それらをまかなう費用がない。
諸処、問題があるのは事実です。
その当事者や周りの方の苦悩も知っています。
でも、やっぱり前を向いて歩いたほうが、楽しいです。
だから、課題、問題という型に収めちゃうのではなく、
"新しい何か"という意識で物事を考えたらいいんじゃないかな、ってちょっと思いました。
今回の記事、勉強不足なところがあり、いろいろ語弊や、いやな想いをされた方もいるかもしれません。
ごめんなさい。
でも、
私の周りにいるじいさんばあさんは、すっごく元気で、いつも笑っていて、ときに叱ってくれます。
昨年他界した私の父親代わりだったおっちゃんは病院のベッドの上で、晩年は会話することも
できなかったけど、その姿を見るだけで、私の中のなにかが目覚めたりしました。
そのとき、いつもあるのは、感謝の心です。
「ありがとう」ですね。
ありがとうが言い合えたら、きっと、もう前を向いています。
そんな個人レベルの、たとえば、さらに私のもう一つのわらじである"心理カウンセリング"でも、
そうしていくことができるわけですし、そうした一つ一つの「ありがとう」が、上述の"課題"を
解決して、さらに前よりも良いものを生み出すことに繋がると信じて、
私ができることを、
私なりにやっていきたいな、って思った、久しぶりの休日でございました。
