愛知県にいると日常的に聞こえる「お値打ち」と言う言葉。
ある時から耳障りになり、不快になり、今では哀悼の眼差しすら向けてしまうようになったなー。
この言葉について愛知県民曰く、
愛知県民は利口なので安物買いの銭失いはしない。良いものを安く買う。
そのことを美学としているようでこの言葉を連呼する。
何故それに哀悼の眼差しが。
実際に諸県民に接してみるとその美学は形骸化しており気概はよろしいが何も伴っていない。
さらに言えばものを見る目がないから
みんなぼったくり、そしてぼったくられている。
これを哀れと言わず何という?
◼️そもそもお値打ちってなんやねん
先日スポット的に京都で仕事をする機会があり関西人に混じり仕事をした。(細かい背景は敢えて省略するが)その際に関西の職人が
「値打ちもんやな」
という言葉を発した。
それにより私は気づいてしまった。
名古屋で聞くのと明らかにちがうシチュエーションでの使われる「値打ち」。明らかに異なる対象への使用。
「値打ちもん」と「お値打ち」という言葉について感じていた違和感に決着をつけよう、と誓ったのだ。
あくまで仮説も多い。確かめたいのもある。
それなりに長くなるが是非茶や菓子を取ってきて御読みいただきたい。
◼️値打ちとお値打ちは別の言葉という結論
結論から言えば
私たちの知っている「値打ち(値打ち品、値打ち物)」と愛知県で言う「お値打ち」は別の物だ。
何故なら全国の「値打ち」は辞書通りの使われ方であり愛知県の「お値打ち」は辞書の用例外の使われ方である。
「値打ち」に御という接頭語がついているものと認識していたがそれは違う。別単語として扱うべきである。
なお日本語の「接頭語の御」は「尊敬語」「謙譲語」「美化語」のいずれかだ。「お値打ち」の場合「御」をつける事で美化語となるわけだが、愛知県民の下品さが助長されるという上級者向け機能を果たしている。
◼️差異点
まず基準となる値打ち、という単語を調べそこから差をだそう。
物知りマッキントッシュさんに聞いてみた。
(例文)
「名駅発!お値打ちなモーニング!」
「知多半島お値打ちスーパー」
「お値打ちだがね」
類義語検証の基本、単語を置換してみよう。
ザクっと言うと置き換えてもテイストが狂わなければ類義語といえる。
お値打ちを値打ちに置き換えて、さらに意訳してみる。
名古屋駅の喫茶店の価値あるモーニングセット
知多半島の良いものを扱うスーパー
良いものですね
…何か愛知県民の言っているのと差異を感じないだろうか?
愛知県のモーニングなんていうのはとにかく品数が多いだけで美味でも何でも無い。
テレビでお値打ちスーパーと紹介されるところはほぼ9割安かろう悪かろう客の頭もおかしかろうみたいなところだ。
愛知県民が人のものを羨ましがるのは見ても褒めるところなど見たことがない。なにせ値札かカタログがないと目利きが出来ない人たちだ。
確実に愛知県の「お値打ち」にはプラスアルファの要素が含まれている。
先ほどの辞書の構文で試してみよう。
「骨董品としての値打ちはない」
「骨董品としてのお値打ちはない」
一文字違いだが凄まじい違和感だ。
否定に対して「お」をつけているので尚更か。
多分愛知未経験者には分からないだろうが文字で併記すると改めて彼らがこれを同義で使っているとは思えない。
もう一度実際にテレビなどで見聞きする用法を見てみよう。今度は正しい別な言葉を当てはめるんだ。
「お値打ちなランチ」
「お値打ちなモーニング」
ここに入る類義語はお得や激安といったところか。
このシリーズのなかに
もはや自分たちで言葉を見失ってないか?という用法がある。
「お値打ち価格!」だ。
価値ある価格?
価格価格?
…これ値段相応ってことでしょ?
それじゃあ御得意のお値打ち購買行動じゃないよね。
やはり辞書からは逸脱しておりものの良し悪しに関わらず安く買った安く買える時に「お値打ち」と言っていることがわかる。
何で良し悪しに関わらずかって?
名古屋市内のスーパーの定番のようなもの「お値打ち250円弁当」を見てもらえばわかる。
或いは400円超で提供される名古屋の喫茶店のモーニングを見てみろ。
例えば某コーヒーチェーンの場合400円でトーストと卵だっけ?(最近行かないからわからないや)
ドトール単価に直せばトーストとコーヒーで400円か、ふーん相応ねと思う。
…相応。
奇しくもまさに本当の意味でのお値打ち価格(笑)
品数だけなら…となるが不味いコーヒーとマーガリンつゆだくのトースト自体が価値としていかがか?
個数は数えられても目利きは出ないんだろうな。
◼️そもそもの感覚を疑うお値打ち
愛知県のお値打ちはそもそもの彼らのサティスファクション感覚がおかしいと感じさせる。
元々の意味合いは良いものを適正価格より安く買う購買行動にこの言葉を使う、と思われる。
前提は良いもの(値打ち品)のはず。ただこの言葉が形骸化したのかはたまた県民殿の良いものと私の感覚が合わないのか…。
例えば愛知県に多いバカみたいな大盛り外食。
普通盛りでパスタ5人前とか、米4合だとかを好んでやる。
…そりゃ量で言えば四倍五倍。一人前単価で考えれば四倍トクをする、という言い方もあるがそれ一回に食べるのよ?
満腹以上に食べる事、或いは食べきれないほど出される食事に価値があるの?味わって食べられるのなんて満腹の数の手前まででしょ?
こんなの経営者を苦しめている不健全なもの以外の何でもないと思うわ。同じ金額で量が多い方がいい店だっていうわけでしょ?
そりゃ食べられるかもしれないけど食べる必要がない量を出す必要もない。
この食べきれないほどの食事をわざと残して
「食べきれないほど出してくれてありがとう」
なんていうスタイルは隣国の文化だと思ってだけどな。やっぱりリトルコリアなのかね。
◼️お値打ちになれるもの、ならないもの
このお値打ちに落とし穴を見つけた。同等のものであってもお値打ちと呼ばれるものと呼ばれないものが存在する。
その差は何だろう?
前提の通り同等品だ。本来の値打ち(物の価値という意味)では共に「御値打ち物」であるが「お値打ち」にはならず差別化されるものがある。
基本的には高価、いや高額なものを安く買った時にこの言葉を使う。つまり同等品、最悪同一商品でもお値打ちなものとそうでないものがある。
実家にあった話だ。
某自動車メーカー(お察しください)の同一グレード同一車種を買った人が二人がいた。二人は買った店が違い値引率に差があった。aさんよりbさんが安く買った、としよう。
そのときにaさんは
「bさんのはお値打ち」
という言い方をした。
ものは同じである。
つまり安くなった高級品のみが愛知県の値打ち品な訳だ。
トヨタ車大好き、すぐ事故るからいつも新車の愛知県民から
「レクサスLSはお値打ち」
という言い方は聞いたことがない。
値引きされない高級品に対してはお値打ちとは言わない。本当の値打ち物なお値打ちと言わない好例だ。
日本語で良い物は高級品と言われる。
高級品は高額であることが多い。
高品質ながら低価格であると掘り出し物なんていう言い方をされることもあるが、これは品定めが出来ることが前提だ。
愛知県では高級品とは高額品で高額品が高級品なのである。なのでとにかく高いものを買おうという購買行動が起こっているように見える。
そしてそれは私にはぼったくられてんな…と見えるわけだ。
◼️県外から来た他府県民はどうすべきか。
目利きが認めたものでも高級な価格設定でなければ価値があるものと認識をされない。またそれに高い値引き率が伴わなければ満足度に繋がらない。
良いものを適正価格で売ろうとする人が不快な思いをするのが愛知県の商売である。
値引きされないものは値打ちではないわけだ。
また普段の販売価格がわからないと割引率の比較が出来ないため自分の購買行動に満足できたのかもわからない。
私たちが
「これは値打ちもんですよ(良いものですよ)」
と話をしても愛知県民は
「お値打ちじゃないがね(値引きされてないじゃん)」
という訳だ。
これは東京や大阪が同じ言葉だと思って話をしたら価値観が合うはずがない。
◼️具体案
カタログで一番高いものが売れる。
初心者でもプロ仕様を買う。
愛知県民は目利きではない。だから企業ブランドや商品ブランド、そして金額の入ったカタログが重要。
物販をするなら価格設定に気を配るといい。
仕事で名古屋に赴任して市場研究をしているが必勝パターンに最高級品を上から二番目の物の金額で売りますよ(値引きしますよ)というのがあった。
つまり最高級商品の適正売価設定を二番目に合わせて、最高級品をその二番目ベースで値段を上げておく。
あとは予定通り値引きをすればいい。
名古屋だと東京大阪より目立つでしょ?
今日だけ、とか最終日!って毎日セールやってる店。多分この商法なんだと思う。
とはいえ結局ものについては最高級品を買いたがる。
正直豚に真珠か…という印象は否めない。
本当に良いものも値引きが入らなきゃ購買意欲が動かない、という面倒な県民だ。
逆に飲食業は楽だが真剣に美味しいものを提供しようとする人にとっては苦痛以外の何でもないとちかもしらない。

