躾の話。
私は「大佐殿」と「曹長殿」の子として比較的平均的な躾を受けて育ったと思っている。
民間企業勤めの親の子からすると我が家の躾は比較的行き過ぎに近いハイレベルでややバイオレンスで少しストレンジなようではあるがいまやそのおかげで人様に無礼を働くことも少なく、会社での私の新人教育には定評がある。
親には感謝している。
よそとはちょっと違ううちかもしれないが
他方愛知県民と異なり礼節の出来ている人の多い岐阜県民。岐阜だと旧街道は中山道だ。
「人様に失礼がないよう」
「人様から見られても恥ずかしくないよう」
「集団の中では規律を守りなさい」
「間違えているものは人のためなら正しなさい」
そういう言葉とともに育てられたと記憶している。
なぜ愛知にはそういう概念がないのか。
どこまでも自分の家の中で全ての人に対して自分より格下、無礼が容認されるように振る舞う。
そのことをずっと考えている。
これまで些細なことを1つずつ分析しても愛知県の多くの問題は親世代祖父母世代からの負の遺産だ。
あまりに大多数というなら歴史的背景があるはずだ、と。
無礼や非礼、失礼について。
礼の概念が違う?
人様という概念がない?
人様の定義が違う?
失礼の基準が違う?
よく愛知は村社会、というよね。
内輪だけで過ごしているからそうなるの?
村社会の発生、或いは村社会からの脱出はどこに引き金があるの?
今もそれを引きずる地域はどこなの?
色々考えて仮説が生まれたの。
自分のこれまで過ごした都市のことを考えていた。
私が関東に移り長く過ごした練馬区・板橋区エリアは外に開けたオープンな地域だ。その前にいた横須賀も良かった。
練馬は新興住宅だが板橋は歴史がある。他者を受け入れるし、ルールによる自治をしている。
私が本拠地を構えた埼玉県川越市はアルティメットだったと思う。
なぜ名古屋はダメなのか?
なぜ愛知はダメなのか。
とはいえ東海エリアでも出来ているエリアと出来ていないエリアとがあるのは確認している。
その差はなんなのか、と。
私が仮説提起するのは
古よりサービス業に従事する旧宿場街エリアとそれ以外で大方判断できないか?、という切り口だ。
私が旅したり暮らしたりして過ごし良かった街に共通したのが旧宿場街。或いは旧街道沿いの町。
老いも若いも礼節や人格形成に問題がない。
それから武家が拠点を構えた城下町も軒並み大丈夫か?と思ったが名古屋で例外を引いたので何とも言い難い。
これは私の祖父(鹿児島出身・軍人)が生前言っていた
「現代の鹿児島県民に薩摩隼人の末裔なんていうのはいない。薩摩隼人を名乗って許される人は皆西南戦争に出て死んでる。私たちは薩摩隼人を鑑に生きている薩摩の人に過ぎない」という言い回し思い出すが名古屋もその類ではないだろうか。
名古屋は戦火を受けている。
今住んでいる名古屋市民と古の名古屋人はガラッと入れ替わっていないだろうか。
それであればいまの名古屋城下町が目も当たられたものではないのは納得がいく。
逆概念、宿場街以外の地域は外部の人と接点を持たずとも生活が成り立つため村社会を形成しやすく排他的な社会を作り、そういった人格形成に至るのではないだろうか。
考察に入ろう。
東海道五十三次で愛知県にあたる宿場は現豊橋市・豊川市を通り以降は沿岸部を離れる。
二川(豊橋市)
吉田(豊橋市)
御油(豊川市)
赤坂(豊川市)
藤川(岡崎市)
岡崎(岡崎市)
池鯉鮒(知立市)
鳴海(名古屋市緑区)
宮(名古屋市熱田区)
熱田・宮宿からは七里の渡しで一気に三重県桑名市に飛ぶため熱田区以北は全く通らないわけだ。
さあ、皆様が愛知県で不愉快な思いをしたことがある、させられたエリアと付き合わせてみて如何だろうか。
御油から赤坂宿エリアは日々通りはするがディープに踏み込んだことがないのでなんとも。
以前仕事で刈谷市に行った際、記念碑に明治時代に愛知用水が通るまで開拓されない土地だった、と書かれていた。
つまり「明治以降の新興開拓地」なわけである。
知立市に隣接はするがお互いの中心部の離れ方は十分。別の集落と考えていいだろう。
刈谷市は礼節はいかがか(超大手企業が林立する関係でネイティブの刈谷っ子というのは超少数だと思うが)。
愛知県は城跡こそ多いものの戦国の城が主で統治の城は少ない。城下町概念(法治がなければ維持できない巨大コミュニティ)が通じるのは名古屋、犬山と岡崎くらいだろうか。
…街で見ても石高で見ても大きくはないが。
常に外からの人がいらっしゃるから
「外からの目」
という考えも成長しているのではないだろうか。
古から一次二次三次産業の全てを持つのが岐阜。サービス業があったためその当時から礼節や躾、教育も行き届いていたのではないだろうか。
現在県南部は尾張移民に、高速のアクセスが良い一部東濃は豊田市に通う三河移民に侵食されているところもある。とはいえ私の中では岐阜県民(特に東濃)はしっかりしている。辛抱強く、礼儀正しく、ユーモアもある。
西濃エリアは釣りに行く時いつも通るけど人の接点が少ないのでなんとも言い難い。ただ、海津町の大江川で釣りをしている時に遊漁料を集金に来る爺さんは物腰も言葉遣いも素晴らしいと思う。
なんとなく私はここが1つの歴史的ターニングポイントになっていると思う。無礼を容認する小社会の人間が法治を経験せぬまま集まり都市が巨大化した、と。
総括として、県外から愛知に赴任することになった方は旧宿場街のなかから治安に問題なく生活に困らないレベルに発達しているところを選んで住め、ということを提案したい。
それ以外は個人的には群を抜いて閉鎖的かつ常識よりも衝動や感情を優先することのある地域だと思っている。
1人でも愛知赴任で心身を痛めぬことを願い…。

