皆さま、こんにちは。国際イメージコンサルタントの工藤亮子です。
しばらくお休みしていた◆マイ プロフィール シリーズ。
リクエストを受けて、再開します
自分のこれまでは、照れくさい部分も多いため
ご興味のある方だけ、お読みくださいませ。
振り返れば、バブル経済崩壊後、就職氷河期といわれた世代。
ポケベルがPHSになり、パソコンが少しずつ普及しはじめた頃。
卒論はワープロで書いた記憶があります。(ワープロって懐かしい響きです)
「留学したい!」と思い立った私は、
留学会社の資料を数社取り寄せます。
比較検討して、「よし!ここに頼もう!」と、資料を握り締め
留学 という夢を叶えるためのプランをいくつか考え
広島から、当時実家のあった長崎対馬へ帰省。
福岡から、対馬へ向かう5時間のフェリーの中では
ひたすら自分の考えたプランで
両親を説得するため
プレゼンテーション練習!
・・・・
・・・・
・・・・
が、もちろん玉砕
「アメリカ」=「危険な場所」 大反対!!!
という、娘を心配する親心からというのは理解できるのです。
数日間の説得の末、最後に
「行ってきなさい」
と、言ってくれたのは
厳しい厳しいと思っていた父でした。
一年間だけ。
帰国後は、英語教師になる。
という約束で
留学への切符を手に入れたのです
州立大学付属の語学学校入学日の関係で
大学の卒業式の翌日に出発
30人程の友人と母親に見送られながら
一人新幹線に乗り込み、広島から関空へ。
一年間だけなのに
永遠の別れのように
親友が大泣きしていたことは
後で知りました。
私は、嵐のような引越しや卒業式を終え
ようやく一人になって
ホロリと不安の涙。
でも
強くならなきゃ。
強い自分になりたい。
それだけを考えていました。
・・・つづく。
本日はここまでにしますね。
長い記事を読んで下さってありがとうございます
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