日々徒然に。そんな使い古されたような言葉が冒頭にくるときって、ホントに散り散りに物思いの時なんだと思う。
今年は感染症で世界中が大変だし、長梅雨の大雨に泣く地域も多い。
毎日雨。それだけだって日照不足で簡単に人を病ませてしまう環境になるよ。
腑に落ちない理不尽なことも往々にして溢れてるし。
どうしようって、昨日までざっくりとしか想像しなくて済んだことが、目の前に現実として突き詰められて回答を求められて、何かにとカウントされる。
でも。
思ったんだ。
そんなの、自分の分だけでよくないかな?って。
非常だといわれったって、じゃあね、自殺なんて選択をしたとして、誰かが責任とってくれるの?って、究極的な最悪な疑問が浮かぶんだよ。
自分ひとり守れない人が、どうしてほかの人を迄守れるっていうんだろう。
どうして、それを求めてくるんだろうって、疑問には疑問しかついてこなくて。
いうて、一つずつ整理してみて、その上でしか結べないワードもあるだろう。
或いは、結ぶべきではないという判断も、結局のところは整理してみないとわからない。
今のまんまじゃ持て余して何も手につかず心だけ、ボロボロになってくイメージだから。
もう。
いいよって、言ってあげよう。
沢山話してくれていいし、それをいちいち聞くよ。
そうしてたら、私には私の答えも出てくるかもしれないし。
なにより、私は気づいたこともある。
人間一人の存在って、良くも悪くも大きいよ。
どうしてこの人とこのタイミングでこんな風な出会いをしてしまったんだろうって、私なりに沢山の葛藤の上に成り立つ間柄。
でも、ここにきてその意味が掴めてきたよ。
出会い頭、直観的だった。触れたとき、しっかり入り込んできたイメージは私を混乱させた。
だけど。
ぁあ、きっとこの人は私の救いになる。私はこの人には敵わない。この人は、この人こそは、私を研ぎ澄まさせる。
現実に今、この時空列の中、もう、そういう風に適えてる。
だから。
大丈夫。