オリンピックが閉幕しましたね。
終わってすぐにこんな事を言うのは何なんですけど、
なんだか盛り上がりに欠けるオリンピックでした。
ちょっと前になるんですけども、ロンドンにお住まいの
お客様から、注文のメールを頂いたんですけど、その
挨拶文の中に、「こちらは全然盛り上がってないですけど、
そちらは如何ですか?」と書かれてまして、いや~、
こちらでも盛り上がっている感じはしないなぁと思ったん
ですが、一応、若い人たちはどうなんだと思い、娘に
聞いてみました。そしたら、「友達同士で会った時でも、
全然話題に上らない。」と言っていました。日本では、
どうだったんでしょうか?
このコロナの自粛ムードの所為なのか、あの国の評判の所為
なのか、決戦に備えて4年間頑張ってきた選手の皆様には
気の毒な事だったと思いますが(応援団も行けなかった訳
ですし)、わたし的には、日本選手の頑張っている姿や
そういうニュースを見たりすると矢張り嬉しくなりました。
今回の大会で、羽生選手は注目の的でしたね。前回の記事では
記者会見で何を話すつもりなんだろうとハラハラしましたが、
まだ暫くは競技の世界にいてくれそうな雰囲気だったようで
安堵しました。ただ、また孤独な練習に戻るのだろうかと
思ったらそれもどうなのと… 身体も、、、特に右足は…
羽生選手にしたら、まだ満足のいくパフォーマンスに行きついて
いない、到達すべき高みに届いていないという気持ちが強いので、
それで、諸々を押しても、競技人生を続行したいという気持ち
なのかもしれませんね。
矢張り、競技でのパフォーマンスはアイスショーでのそれとは緊張の度合い
が違うというか、ピーンと張りつめたものがあるように感じます。自己の
最高は究極の緊張感の中で行なう演技、繰り返される試合によって更新される
のではないかしら?多分、自分の思い描いていた最高の演技が出来た時の
達成感は、それまでの精神的な辛さや肉体的な苦しさを凌駕する… そして、
それを目指しての続行という事なのでしょうか。
プルシェンコ氏が、「ユズルは4回転半を目指さなくても自分の持っている
技術で完璧な演技をすればメダルが取れたのに」と言っていたという
記事を読みました。(その通りの言葉ではありませんがそんな要旨
でした。)その記事に書かれた彼の言葉が本当ならば、プルシェンコ氏
らしくないなぁと思いました。というのも、彼はアメリカのライサチェック選手
がバンクーバーオリンピック(2010年)で金メダルを取った時に、「彼は一度も
4回転を飛んでいないじゃないか」と痛烈に批判していた人ですから。
世界の最高峰の試合に挑むからには、安全圏にいるのではなくて、
常に限界に挑むという姿勢が必要ではないのかと。羽生選手はそれを
常に行ってきた。そして今も限界に挑み続けている。(音楽とシンクロ
させながらですから尋常じゃないです。)ひょっとして、このコロナ禍で
なければ、そして例年通りにいくつもの試合を転戦出来ていたら、もっと
違う結果が出ていたのかもしれません。
今後、どの位の頻度で試合に臨まれるのか。それによって「天と地と」の
完成度が増してくると思うのですが、その前に足を治さないとなりませんね。
この度、「金」を取る事は叶いませんでしたが、羽生選手は採点の枠を
超えた彼ならではの物を持っている。それは、音楽との一体感であったり、
滑りの優雅さであったり、場を支配する能力であったり、言葉と表現の間に
ある何か、勿論、それらを実現できるだけの技術、すべてひっくるめて
他の選手がまねようとしても出来ない物。今、技術的には
羽生選手が出来ない(やらない?)事が出来る選手もいますが、羽生選手
の演技には上手の域を超えた観る人を感動させる何かがある。それが、
メダルの有る無しに関わらず世界が賞賛し続けている理由なのでしょうね。
ここで、突然、話が変わってしまうのですが、トシさんの事を考えて
しまいました。世の中に歌の上手い歌手はたくさんいます。でも、トシさんの
声の持つ力、(周波数の関係でしょうか)人を感動させる力は、そう誰でも
持っているものではありません。
トシさんも、その道の一流の人なのに、羽生さんを賞賛する言葉の数々、
ちょっと目の中にハートのマークが入っていそうな雰囲気で、些か残念な
気持ちになりました。応援するにしても、もうちょっと毅然としていて
もらえないものかなぁと。人生の先輩なんだし。(別に長く生きているから
偉いというものでもないのですが、トシさんはご自身が一流だし、その為に、
自分自身、相当の努力をしてきている人なのですから)
と、最後は怒られそうなことを書いてしまいました。すみません。ず~っと
心に引っかかっていたものですから、つい書いてしまいました。