午後、母のホームへ行ってきた。
以前書いたブログ
新年になり、インフルエンザにかかり、2週間ほど面会禁止だったため、久しぶりの訪問でした。
ホームからは姉の方に、逐一状況報告はされていて、母の容態も把握していて
まあ年齢的に肺炎にならなければいいなぁ、と思いつつも、もういつ何時何があってもおかしくないわけで
わたしたち娘も、そういう年になったということでもある。
かねてからの予定で姉は昨日からイタリアへ。
姉のことだから、母に何もなければ旅行の2週間前の休日も、母のところにおそらく会いに行ってたはず。
で、そのタイミングで母がインフルエンザその他で面会禁止。
神様って居るよね、と、こういう現実を見ると唸る。
姉を無事に旅立たせてくれ、母も肺炎にもならず完治。
そんな母に会ってきました。
とにかくインフルで寝ていたため、体力筋力も落ちてしまってました。
わたしも昨年かかり、外出禁止が過ぎて出かけて、体力がガックリ落ちてしまい、近くのコンビニまで行くのにやっとだったことを今も覚えているくらいだから
今年89才になる母は、さぞや、であろう。
報告ではもしかしたらしばらくは、大事をとって車椅子になるかも、とも聞いていたので、杖で自立歩行していて逆に驚く。
でも、常にスタッフさんの介助が必須。
起きて座っていること、自分の足で歩くこと、
母にとって行動の全てがリハビリ。
ただ、リハビリ専門の施設ではないので、そこまで厳しくはないかな。
面会者は、アルコールでの手洗い、マスク必須のために、最初わたしがわからなかったみたい。
というか
インフルエンザで寝込む前より、格段に記憶力が落ちていた。
わたしのことは、辛うじてわかっていた。
でも
自分に何があったのか?
自分はどうしたのか?
なぜこんなに体力がなくなってしまったのか?
そこがわからなくて、何度も何度も聞くからその都度説明してもしても、すぐわからなくなって
母は、不安で不安で押し潰されそうに見えた。
こういう時、一生懸命気持ちを持ち上げようとする人と、そのままその気持ちでいさせてあげようと思う人がいる。
どちらが良い悪いの話ではなく。
わたしは後者の人。
落ち込んでる人を持ち上げないし、否定しないし、落ち込むことが悪いとも思わないから。
今の母が、いろんなこと忘れてしまい、その中で混乱して不安であるなら
その、混乱して不安な気持ち、を聞く。
何度だって、何度同じ話を繰り返そうが
それを聞く。
聞いて、そうなんだね、不安なんだね、そりゃそうだよ、と
今日はたくさんたくさん、聞いてきました。
今日のわたしは、聞く、ということが出来たから
まあそれは自己満足かもしれない。
そうだとしても、それさえ覚えてない母だから
それでいいね。
それでいい。
今日わたしが会いに来たこと、それも覚えてないだろう。
いいよ、大丈夫だよ。
それでいいよ
大丈夫。
ひとつだけ、悲しみがあるとしたら
それは忘れてしまう母ではなく
そんな母に対して、切なさのかけらも持たない
わたしという、悲しみ。

