考えることは自由だし、現実のものになって一喜一憂するのもまた自然なことだと思う。
今あるような状況になる前から自分的には一つの希望的観測として抱いていた考えがあります。
今は、きっといい機会だと思うので、ココで記しておこうかなって思います。

2007年10月28日、後藤真希がハロプロを卒業しました。
メディアでの捉えられ方に少なからぬ不満を覚えつつも、自分にとっては一つの希望というか願望だったし、
結果として現実のものになって、この先の展望としてすごく楽しみなんですね。
確かに、この一件がこの先後藤真希とハロプロにどういう作用を見せるのかは分からないし、
特に後藤真希にとって前途多難だろうってことは想像に難くないって思うし、ハロプロ全体から見ても、
大きな損失だってとれる見方もあると思います。
だがしかし、後藤真希にとって一つの大きなスタート地点に立とうとしてるのは確かだと思いますし、
ハロー全体に対しても一つの大きな刺激にもなるのではないかなって、自分はそう捉えてますし、そう思いたい。

ここでまた、この今の流れを汲むような動きがあっても良いんじゃないかなって。
というか、自分的には後藤真希に先立つんじゃないかなって思ってたんですけどね。
まぁ、誰のことだっていうのは敢えて書く必要はないかなと。
それくらい、自分のなかではサッパリと割り切れてる人或いは人たちのことです。

今回のごっちんのことで、方向性とか、音楽性って言葉が出てきました。
それと全く同じことが言えると思ってる。もちろん後藤真希のもってるベクトルとはまた違うベクトルですけど。
仮に、彼女或いは彼女たちが卒業するってことになっても、きっと驚くことはないと思う。
勿論、「卒業」が「引退」とイコールでない場合のことですよ。
これは当たり前すぎるくらいに前提条件。
ごっちんの場合も、当然引退だとは感じてませんから。先の展望が必ずあるって捉えてます。
展望が見えてくるまで待つことだって出来る。待つことも必要です。

なんていうか、一つの希望をもって看れることだと思ってるんですね。
卒業というものに対してある種の覚悟が出来てるっていう意味ではないです。
今回のごっちんの件でも触れたとおり、自分はハローに対して愛着はあるが、執着はないと書きました。

ごっちんも含めて、彼女たちにとってハロプロというフィールドが一つの通過点であって欲しいんです。
ここ近年、ハロプロっていうのは比較的閉鎖的な要素があったと感じてるんですが
(誰彼のせいだっていうのはこの際問題じゃないし、勿論それだけじゃなくてメリットもあるって信じたい)、
今回の後藤真希を起点として、その先に羽ばたけるんだという下地をハロプロの中に作り出すことで、
ハロプロという一つの枠ぐみが持つ魅力も増すんじゃないかという考えなんです。
途方もないことかもしれないし、夢物語かもしれないけど、こんな見方も楽しみ方の一つかなって思う。

平家みちよとモーニング娘。からハロプロが始まって10年。
その節目の年である今年-2007年-が一つの大きなターニングポイントであるならば、
ホントこれでもかってくらいに転換してほしいなって思います。
(5年前の2002年も、ハロプロにとっては大きなターニングポイントでしたしね)

不埒と思われようと、不逞と思われようと構わない。
19歳の頃から29歳の現時点まで10年ものあいだ、ずっとハロプロを見てきた者の一人としての一つの考えです。