自己紹介(0歳〜9歳までの私) | 子どものいない人生を100倍楽しむ♡スピリチュアルカウンセラーのあのブログ

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はじめましての方も
ずっとブログを読んでくださってる方も
ありがとうございます╰(*´︶`*)╯






心屋認定カウンセラー
かっちゃんです♡






上級ワークショップで
もっと自分のことを
ここでさらけ出してみようと思ったので




改めて自己紹介を
書いてみることにしました(・∀・)






生まれは福岡県北九州市。
3人兄弟の長女です。




生まれた時はとっても大きなお家に住み
私は何不自由ない生活を
送ってたみたいです。




3歳のとき
おばあちゃんの広島のお友達の家に
遊びに行ったみたいなんだけど




そこで




「嫁の代わりはいくらでもいる!」




っておばあちゃんに言われて




お母さんと私
その日からそのまま
広島で暮らすことになった






その瞬間まで
おばあちゃんは私の最大の味方だった




いじめられても
お母さんに怒られても
おばあちゃんが私を全力で守ってくれる




そんな存在だった




そのおばあちゃんに
いらない!って言われて




実際に言われたのは
お母さんだけど




すごく悲しかったのかな




ずっと泣いてたって
お母さんから聞いた




あとから
おばあちゃんはお父さんと一緒に
私も連れて帰りたかったって知った
んだけど




お母さんが私だけは
絶対に離さなかったんだって




おばあちゃんに
裏切られたんじゃなかったし
お母さんは私がいたから
頑張ってこれたってあとから聞いた




それから
お母さんとふたりの生活は
お金がないから



そのお友達のお店までいっぱい歩いて
働いて



私もビールを注いであげて
売り上げに協力してたんだって



どうしたら人が喜ぶか
分かってたのかな



いろんなことを
子どもながらに見て感じてたのかな



それとも
ただ楽しくてやってたのかな




その時の気持ちは思いだせないけど




その後お父さんが
お母さんを追いかけて広島に来て
家族3人で住むことになった




お父さんを取られたと思った
おばあちゃんは
広島の家に来ては




タンスをひっくり返したり
家の中をめちゃくちゃにして
帰っていったとお母さんから聞いた




それから広島市内を何度も何度も
引っ越して





福岡の家を売った
おじいちゃんとおばあちゃんが
本が好きなお父さんのために




古本屋を開いてくれたんだけど
それでもお父さん全く働かず




おじいちゃんとお母さんが
いつも店番してた




お父さんすぐ仕事辞めるし
お母さんがパートで働いてたけど
いつもお金なくて




お母さん幸せそうじゃないな!
お母さんを助けたい!!




はたぶんこの頃から
だったんだと思う





1年生のとき
小学校が終わると
留守家族子ども会に行ってたんだけど




「嫌です」



を友達から3回言われたら
正座をする
って言う規則があって



鬼ごっこをして遊んでたときに
「タッチしたら嫌です!って3回言うよ」
って言われて



タッチしたら
連続で「嫌です嫌です嫌です」




このことを友達が先生に言ったから
先生に理由を話したけど
決まりだからって正座させられた



えっ!嫌です!
って一つのことに対して
一回じゃないの?!




鬼ごっこって
鬼がタッチしないと
鬼ごっこじゃなく
ただのかけっこだよね?!




このことがきっかけで
友達と遊ぶことがすごく怖くなって




どうせ私のいうことは信じてもらえない
って拗ねてしまってたんだと思う





『理不尽なことをされても
我慢しなければならない』




『人と関わると嫌なことが起きる』




『私の言うことは理解してもらえない』





この時に
これらの前提ができたように思う。




 
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