担当医の先生へのご挨拶に、長年お世話になった大学病院へ。
毎日通ったあの道、廊下、病室、今も病室に行けば父がいるかのような錯覚を起こすほど
退院してから本当にあっという間のことだった。
気づけば退院してちょうど1ヶ月。
父のことだから、余命1.2ヶ月と宣告されても退院して自宅に戻れば
きっと半年は生きてくれるのではないか、
家族の皆がそう信じた。
それは、父の生命力の強さに期待する気持ちと父の死を受け入れられない気持ちが共存し
目の前に突きつけられた事実に目を背けていた私たちに、突きつけられたまぎれもない現実だった。
懐かしさを感じる病院に入ると、この6年間の父がいた。
初めて癌を宣告された日、胆管癌の手術をした日、そして何度も繰り返した長い入院の日々。。。
受付で待つのを嫌がる父、抗がん剤の点滴治療を拒否する父、
医者の前では元気なふりをする父、
私が妊娠し、入院中に何度もお弁当を持ってきてくれた父、
今も目の前に、向こうから父が歩いてくるかのようだった。
退院時の父の忘れ物を取りに病棟に行った時、
私のサングラスが床に落ち、看護師さんが拾っってくださったとき、初めて、お互い気づいた。
その方は、父が一番お世話になった看護師さんで私もよく色んなお話や相談をさせて頂いた方だった。
この度は本当に、色々お世話になりました、と
言い切る前に、涙が溢れてきた。
きっと、父もお礼を言いたかったのだろう。
父に、いい娘さんですねー、とおっしゃった看護師さんに、親がいいからなー、と
冗談交じりに話していたのは1ヶ月前。
私もこんなお父さんのもとに生まれたかったですー、とおっしゃっていた方。
こんなに早く、あっという間に逝ってしまうなんて本当に信じられない、
色んな気持ちを知っておられた看護士さんは、お家で看取ることができてよかったです、と、
本当に父が家に帰りたがっていたのをご存知だったので父が好きな自宅で最期を迎えられたことに安心されたようだった。
話したいことはたくさんあったが、涙が止まらなく、
お仕事中の看護師さんをたったひとりの患者の死で引き止めることもできず、足早に病棟を後にする私に、
2歳の娘は、「じーじーとこ、いく。じーじ、いこ」と、まだ父が入院していると思って病室に戻りたがった。
本当に、子供のように、病室にいると信じて大泣きしたい気持ちを押さえ込み、
足早に去ると目を真っ赤に腫らした母がいた。
毎日毎日通った病院、何年も言い聞かせながら点滴治療に連れてきたり、
私以上のたくさんの思い出と感情を抱きながら、涙をこらえている母を見ると、
また、父の死という現実を突きつけられ、やり場のない悲しみと、誰にも向けられない憤りを感じた。