窓際に咲いた季節外れの向日葵に -2ページ目

ジュン、心の向こうに。

~、である。


今日のテーマが、である。


すなわち車内で、である。

ここでいうところの車内、というのはとどのつまるところ電車内、ということであるが、説明不足であったことを謝るつもりはさらさら無い。端的にいって謝罪しない、ということである。


で、その車内。

車内における行動が様々であることは言を待たない。

新聞・雑誌・小説等を読む活字族。


ひたすらに津軽海峡冬景色に没頭するポッド族。

ひたすらに温かい缶コーヒーを飲むホット族。

ひたすらに水筒のお茶を飲むポット族。

ひたすらにプラモの修理に没頭するボンド族。

ひたすらに大木なぼんと族。

ひたすらに長渕なとんぼ族。


しかし近年における車内族の最大派閥、といえば、電話をいぢくる携帯族ではなかろうか。

で、その携帯族。

たまたまラッシュ時の車内でオレの前にたたずむ女人がひたすらにメールを打っていた。

女人、といっても様々であるが、ここで述べる女人はいわゆる絵文字やらデコやら顔文字を使用するのが似つかわしくない、端的にいってアイドルにはなれない、さらなる端的でブサな女人であった。


で、その女人が、である。

冒頭の、~、をやたらと連発で使っていたのが、である。

ね~なりな~なり、ねーやなーですむものを、わざわざ、~を使うのである。

もう一度確認するが、この女人はブサである。

普段このような表現を使っている訳は無い。


俺は学校で、普段使わない表現は使うな、と教わった。

この女人も間違いなくそういう教育を受けていたはずである。

ならばこの女人は、~は使ってはいけないはずである。

ではなぜこの女人が~、を使うか。

ここで導ける帰結は一つしかない。


この女人はオレの尊敬するカラオケ族に違いない。

すなわちヴィブラートを普段ふんだんに、それこそ憤懣やるかたなく使っているに違いない。

それが普段の生活にも表れてしまうほどに歌いこんでりるに違いない。


ここまで考えて、ようやく俺は振り下ろそうとしたこぶしを下げた。




再び光、取り戻すまで

果たしてなれるだろうか。


伝説に、である。


伝説のブロガーに、である。


文章のみで、である。


伝説のブロガーに文章のみで、である。


これが終わりの始まりであり、始まりの終わりである。