2019年11月ににひろ君が産まれました
遺伝子の突然変異により体の大切なタンパク質をつくる工場が半分しかなかったらしく、重度の発達障害だったと死後に判明しました
首が座ったのは一歳を過ぎてから、腰は座らないままでしたが生前は障害を認定してはもらえませんでした
初めて授かった赤ちゃんがひろ君だったから、私が何か間違えているのか、子育てに向いていないのか、自問自答しながら手探りの育児
定型発達の子ども達を見ると羨ましく思う事もめちゃくちゃあったけど、もう比較できないレベルで発達が遅れていたので、ずっと可愛い赤ちゃんなんだと思うようにした
実際、毛量も少なかったので見た目も赤ちゃん👶で見知らぬ女の子に『大っきい赤ちゃんがいるーーー‼️』と叫ばれたぐらい
2021年10月、2歳のお誕生日を目前に急にお空に行ってしまったひろ君
重責痙攣が起きた原因は結局今もわからない
その時、お腹の中にいたたーちゃんが強い引力で私を地上に留めてくれた
たーちゃんがいなければ、私はひろ君を追ってお空に行ったかもしれない
たーちゃんが少しお兄さんになってきた今、ダイくんがきてくれた
ずっと赤ちゃんがいて、ずっと寝不足で、そこそこ高齢なのに頑張ってるなぁー自分って思った
医療ミスで不妊になったけど、不妊になったから凍結した卵があり高齢でも出産の選択肢が持てた
人生ってわからない
医療ミスで不妊になったことは短い目で見たらマイナスだったけど、長い目で見るとラッキーだったと思える
人生で起きる色々なこと、今は凄いマイナスな出来事でも未来にプラスにできることもある
ひろ君を失った悲しみはどう頑張ってもプラスにはならないんだけど、そのおかげで繋がれた人達がいる
ひろ君が産まれた意味を1つでも増やしたい私のエゴ
ひろ君を知っている人を1人でも増やしたい私のエゴ
いつもお付き合いくださり、皆様、ありがとうございます
私の宝物