前回のブログでは、インテ経験を書いてきた。
聴者世界の中で生きるには、臆せず渡っていける強さがないとやっていけないとも書いた。
インテして成功した人もいるだろう。
挫折や葛藤を抱えた人もいるだろう。
聴者世界の中で困ったことがあるか、と聞かれたら
私は「あまりない」と答えるだろう。
理由は
性格がノー天気・楽天家なところもある(苦笑)
しかし
最大の理由は
「聞いていない」からだ(苦笑)
必要な情報だろうと思われることは
自分から雰囲気を察知して
友達に聞いたりした。
それ以外は
例えば全校朝礼、帰りの会、文化祭、講演会などなど
空想にふけったりしながら
終わるのを待っていたような感じだった。
苦痛だったときもあれば
空想などにはまって「おっ早く終わったか」。
そんな感じだった。
ほとんどは文字による情報、分かる範囲での読唇術。
「分からない」
そりゃしようがないから
まぁいいか、そんな心境だったわけだ。
あとは聞き流すコツも身につけていた。
それが
手話によって
目覚めたワケである。
「今まで聞き流していた時間がもったいなかったな」
そんなに思えた。
幸い
両親が聾だったから、手話の読みとりにはたけていた。
ある日
チョー有名人の手話つき講演会があると聞いて
見に行った。
衝撃!!
一句ももらさず手話を通して話が全部分かる!!![]()
初めて講演会を最後まで熱中して(手話を)見、楽しめた。
インテ世界では
集団討論そういうのは限界だった。
あくまでも小人数という制限がついていたが
こんなに不特定多数の人たちが集まる公の場で
手話通訳があれば すべてが理解できるなんて
知識も情報も増すし素晴らしいと思ったわけだ。
だから私は手話が必要、
自分にとって情報を幅広く正確に得るためには欠かせない言語だと
思うようになったわけだ。
また小さいときから
手話そのものが近くにあったし
聾の幼なじみもいたから
手話で語る楽しさ、表現豊かさもまた知った。
またアメリカ手話を身につけることで
英語スピーチやヒアリングも苦手だったのが
自由にアメリカ手話でアメリカ人の聾者または
アメリカ手話ができるアメリカ人 誰とでも
コミュニケーションができるようになった!
手話は
視覚言語である。
聴者が努力して聞こうとするのではなく
自然に耳から言葉が入るように
私にとって
手話は自然にすべてを理解する言語である。
そういう意味で
私は手話が大好きだし
必要な言語だと強く思っている。
世の中には
口話だけで十分という難聴者もいる。
現状のままでイイ、という人もいる。
そう思う人を私は別に咎めようとも非難しようとも思わない。
人の生き方それぞれだから。
難聴者にとって
手話ではなく要約筆記やパソコン筆記、
字幕で情報保障を求める手段もあるだろう。
同じ聴覚障害でも
聾者と難聴者との距離は遠いと感じる。
その差を埋めるのは
共通言語が必要であるだろう。
現在では、それはなかなか難しい問題だ。
その壁に
私は苦悩することもある。
それが
現在の私の熟考を要する課題でもある。
長くなるから
今日はこの辺で…。
また。