初めまして。

恋愛コンサルタント業をしておりますdeadmanです。

私はこのブログを記していくにあたっていくつか考えたことがあります。

一つ目は、まず読者の皆様へ分かりやすい自己紹介をしなければいけないということ

二つ目は、分かりやすい自己紹介をするにあたってまず自分を知らなければいけないということ

三つ目は、自分を知るということはそう容易くないということ

以上の3点です。

朝目が覚めると急な尿意を感じトイレに行きました。用を足し洗面台に足を運んだ時、鏡の前に映るその人物が一体誰なんだろうと感じたことはごく稀にあると思います。

街へ買い物に行った際ふとショウインドウに映るこの人物は一体誰なんだろうと感じたことも同じくです。

鏡の前に存在している以上、映っているその人物は紛れもなく自分、すなわち己であります。

では何故、誰なんだろうと感じるのでしょうか。

先程私は申し上げました。

自分を知ることは容易でないと。


小学校3年生すなわち糞ガキの頃、地元の某デパートの金魚すくいで金魚をすくい、その足で金魚の餌を盗みました。
金魚と金魚の餌を手に出入り口を出ますと、店員が駆け寄り私の肩に手を乗せこう言いました。

店員「君、ちょっと奥まで来なさい」

その店員の放つ言葉の意味が瞬時に理解出来たのは私が金魚の餌を盗んでいたことを自覚していたことに他なりません。しかし私は金魚の餌を盗んだのであり金魚を盗んだ訳ではありません。

先程私は申し上げました。

金魚を盗むのは容易ではないと。

私「金魚は盗んでいません」

店員「いいから奥まで来なさい」



目の前に映る物、事象は自分の中のフィルターを通し解釈されます。

そのフィルターを作っているのがそう、自分なんですね。

時として自分は

「変化」や「過ち」

を認めず

「正当化」や「嘘」

で自分を守ります。

そんな自分が好きなんです。

そんな自分を愛して下さい。

自分を愛せない人が他人を愛すことは出来ません。

自分を愛し他人を愛したあと愛をもって金魚を飼って下さい。

そうすればきっと女性が勝手に着いてきます。

そう、金魚の糞のように。

有難う御座いました。



ps.先程金魚のくだり際、店員と申しましたが正しくは店長の間違いになります。訂正とお詫び申し上げます。