―狐につつまれんと山に入るならば唾を体に染みこませ、鈴なる洞に近づかん。
山が眠る中、白い道ならず道に足跡を付ける男はその日も同じようにただ煙草を片手に道を歩ませていた。歩いても歩いても雪は降り積もり後を振り返れば半里ほどの前の足跡はもう白に飲み込まれている。無機質な音も禍がしい音も全て雪が消し去る中、山を越えようかと言うときに文の送り先の家が見えてきた。
(何軒も軒を連ねているのに火が灯っているのは一軒だけ・・・?)
「・・・外は寒かろう、火に当たっていかれ」
火の燃える音がやけに広い部屋の中に響く。沈黙と言う音が漂い始めだんだんと蟲の気配が強くなっていく。幾つもの不可思議な置物や草が部屋に置かれていた。
「主人殿、あれらは?」
「前訪れた蟲師が蟲避けと行ってもらった南蛮の置物だそうで・・・」
妙につり上がった目には不思議な力がこもっていたが。
「主人殿、あやつは蟲避けではございませぬ」
「・・・おれは鴨にされたってことかい?」
「いいや、そういうわけじゃないんだが」
彼の娘が火鉢をどこから引っ張り出してきては火を灯しはじめる。
「あれは蟲どころか光が宿る者・・・すべてを遠ざける物ですな」
「というと?」
「もし、娘さんはあまり力仕事はできぬのでは・・・?」
娘が火鉢に手をかける手が一瞬止まったような気がした。彼の、父の血の気が一瞬で変わったのが空気を通して伝わってくる。
「あの置物は南蛮ものゆえ、異国人用に“かえし”がついているが我ら用にはついていない。・・・ように若い娘さんの精気をさえもあの置物が払っているってこと・・・です」
「それが村の者が次々と死んだ理由だと・・・?」
娘が父の声を塞ぎたいでも言うように目をつぶり始めた。ただただ表情を変えずに悲しげに口を結んでいる。
「それはまだ分かりませんが二晩もあれば解決するでしょう、それと・・・あの置物を置いていった蟲師と言うのは白い髪に緑の目では?」
「そうだが、あの蟲師は顔が広いのか?」
それはあえて答えないでおいた。沈黙から切り抜けるように娘が
「どうぞ、こちらの部屋を暖めておきました」
と、追いやられるように部屋に入れられた。
「狭っくるしいでしょうがどうぞお気を休めて・・・」
部屋には何もなくただ火鉢が二個ほど煙を弱弱しく焚いていた。
(精気をとられんようにあとで“かえし”を書き留めておくか)
親子が寝静まったのを見て蟲封じの娘から教わった簡単な“かえし”の札を小さくたたみ置物の下に挟んでおいた。
・・・続く