ゆくゆくは近しい友人にはデミセクシャルについて打ちあけようと思っている。

そうすることで、「恋愛感情がないなんてことはないから大丈夫」という循環論法に傷つくことがなくなればいいな、と思う。
なくなればいい…とは言ったものの、自分が傷つく言葉を伝え、相手に改めさせる・やめさせるということは考えていない。それは降っている雨を止めるようなものだからだ。私がやって行きたいのは、雨対策なのだ。


デミセクシャルという言葉を使うことは、野ざらしの場所で雨風雪にさらされていた不安を、屋根のあるところへ避難させた感じがする。デミセクシャルという名前の屋根だ。

雨風雪のある環境こそが自然なのだから、今いる場所が不安なら、天気が変わることを待っていないで、天気が変わるまで安心安全安心に過ごすために、何かをしなくてはならないのだ。


デミセクシャルという言葉を使うことで安心を得た。一見何も変わらないのだけど、私の中に安心があるかないの違いはとても大きいものだ。