皆さんこんにちは、堅城一兵です。

ようやく寒さも緩み始めましたね。
さあ、今年も春夏野菜の植え付けの開始です。

まずは…


ジャガイモです。
今年はメークインと男爵を選びました。
そして…



芽の出る所に気をつけながら切り分けます。
それから…



30cm間隔で畑に伏せていきます。
伏せたジャガイモの間に牛糞と化成肥料を施肥していきます。
こういうのを置き肥というそうです。
多くの野菜が酸性土を嫌う中で、
ジャガイモは弱酸性土を好むので、消石灰は撒きません。
あとは、土をかぶせて芽が出るのを待ちます。
元気の良い芽を2つばかり残して育てます。
ジャガイモは土から顔を出そうとするので、
時々土をかぶせていきながら、雑草の管理と追肥を行います。
植えてから90日あまりするといよいよ収穫です。
今からだと、6月頃でしょうか。
新じゃがのコロッケや、ジャガバターは絶品です。
楽しみに待ちながら、野良仕事も頑張ります。

という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…

皆さんこんにちは、堅城一兵です。


兵庫県立大学の研究フォーラムが開催されます。





う~ん、土曜日の13時かあ。
日程調整が難しいけど、行けたら行きたいと思います。

という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…

皆さんこんにちは、堅城一兵です。

 

イモ種盗んでも子種盗むな、とは古くからの言葉です。

寒さも少しづつですがようやく緩み始めたこの頃、

また忙しい野良仕事の時期がやって来ます。

まずは、じゃがいもの植え付けの準備です。

今年はメークインと男爵の2種類に決めました。

先日来、もみ殻とヌカを畑に打ち込んであります。

もう少ししたら、植え付けです。

イモ種盗んでも…と言うのは古くからの格言で、

昨年のイモの残りを植えても、出来が良くないので

こうして毎年種イモを購入して植えるのです。

連作に強い作物とそうでない作物があるので、

定期的にローテーションしながらの工夫が必要です。

今年も豊作でありますように…

 

という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…

 

皆さんこんにちは、堅城一兵です。

大阪の鶴見に住む友人が栽培している、蓮根を送ってくれました。



かつては門真蓮根と呼ばれて栽培されていたそうですが、
徐々に衰退していったとか…
その蓮根を鶴見区で復活して栽培しているとの事。
さっそくスライスしたものと、すりおろしたものを使って
お好み焼きを作りました。

これがまあ絶品で、今までスーパーで買っていた蓮根とは
全く違う粘り気のある美味しさでした。
ご馳走さまでしたヽ(^o^)丿

という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…

皆さんこんにちは、堅城一兵です。

インフルエンザもいよいよ猛威を振るいだしました。
この時期、受験生を抱えた保護者のかたも落ち着かないですね。

今日はそんな皆さんに、
僕からささやかなプレゼントをします。



但馬は豊岡市竹野町の海岸沿いにある
「はさかり岩」です。
ここは山陰海岸ジオパークの一部ですが、
中央の丸い岩は、見るからに落ちそうで、絶対落ちません。

保護者の皆さん、この写真をプリントアウトして
お子さんに持たせてあげて下さい。
絶対落ちませんよ(たぶん)

受験生、がんばれ~~>

という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…
皆さんこんにちは、堅城一兵です。

僕が最近マスコミで話題になっている事で、気になってるのが…
ジカ熱ですね。

WHOは中南米でパンデミック(大流行)しそうな感染病として
ジカ熱を指定したようです。
蚊を媒介して人間に感染するようで、
症状はそれほど重くはならないものの、
妊婦さんなどに感染すると、
生まれてくる子供に「小頭症」の現れる確率が高いのだとか。
もちろん未だワクチンなどは出来ておらず、
とても心配しています。

日本人の中にも、以前中南米を旅行した人からの
感染事例があるようです。

もちろん、妊婦さんがオリンピック選手として参加されるケースは
ないと思いますが、現地ブラジルで感染して
日本へ帰って来た時に、日本で広がる可能性はないのでしょうか?

リオでの日本人選手の活躍はとても楽しみですが、
こちらはとても心配です。
しっかりと調査をして、万全を期して欲しいものです。

という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…
皆さんこんにちは、堅城一兵です。

我が家では一年中で一番寒いこの季節、味噌作りをします。



24時間水に漬けておいた大豆を…
圧力なべで煮ます。



熱いうちにチョッパーでミンチ状にします。



米こうじと塩を混ぜたものに入れてよく混ぜ合わせ…
大きなお団子状にします。



樽の底の方から、お団子を投げつけるようにして
空気が入らない様に詰めていきます。




ラップなどで空気を遮断して包み込み、
重石(漬物石など)を載せれば、仕込みは完成です。

あとは、我が家の地下室に保存してじっくりと発酵、熟成するのを待ちます。
3ケ月~4か月経つと、自家製味噌の完成です。
今年は大豆3kg、米麹3kg、塩を1,2kg使用しました。
この分量で減塩味噌が出来るはずです(笑)
3年前に亡くなった母に教えてもらった方法で仕込みました。

3ケ月後が楽しみではあります。
という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…
皆さんこんにちは、堅城一兵です。

この週末、最強の寒波がやって来るとか…
報道などでも、豪雪が予想されるので、
最悪交通網が麻痺をして、孤立する地区がでるかも?と、
恐ろしい事を言っております。



2~3日分の食料の備蓄を勧めます、
などと報道されております。

そういう訳で籠城戦に備えて、
兵糧を蓄えておくべく、畑へ出陣してきました(笑)
数十年に一度の最強の冬将軍の攻めに負けないよう頑張ります(^_-)-☆

という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…
皆さんこんにちは、堅城一兵です。

我が町香美町では、毎月20日は「ととの日」です。
魚を子供言葉で「とと」と表して、
20日は十(とう)が2つで、「とと」という訳です。
ちょっとしたダジャレですね。

で、都市圏の方々には信じられないかも知れませんが、
地元小学校の給食には、たまにこんな献立があります。





そうなんです。
給食の献立にカニが出る日があるんですね。
マスコミの取材も時々あるようですが…

ただ、少ない時間でカニや他のものまで食べきるのは
大人でも大変です。
テレビのインタビューで、「どうですか?美味しい?」と尋ねられて
「時間かかるからめんどくさくて嫌い」と答える子供もいますね。

なんて贅沢な事を…と仰る声が聞こえてきそうです。
そんなととの日の様子でした。

という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…
今年も、1.17がやってきました。
あれから21年、様々な記憶が薄れていく中で
追悼行事も縮小の傾向にあります。
あらためて、僕のあの日の記憶を書いてみたいと思います。

あの年、但馬地方は正月から大雪の日が続いていました。
出張の為、僕は車で大阪へ行くタイミングを見計らっていました。
10日に出かける予定でしたが、毎日雪は降り続き、
道路も根雪の状態でアイスバーン…
毎日日延べにしていました。
ようやく雪が落ち着いてきたのが16日、
僕は翌17日に出張する事にしました。
朝5時起き…それはいつも出張するときの常でした。

早い朝ごはんを食べて車に乗り込み、いざ大阪へ…
今思えば、5時46分にはようやく豊岡市を抜けた頃だったでしょうか。
積雪もまだかなり残っています。
いつもカーラジオでFM神戸(kiss FM)を聞きながら…
でも今日はなんだか変です。
いつもは元気なパーソナリティーの声が聞こえてくるのに
今日は、何の放送も入って来ない
(ラジオの故障かな?)くらいに思っていました。
どんどん車を走らせ、丹波は春日のI.Cまで来ました。
ここまで来るともう積雪はありません。
しかし、入口のゲートはしまったまま…まだ 僕にはなぜだか分かりません。
どうしよう、下道を行くか、今日は一旦引き返すか?
さんざん迷った挙句、ラジオをFMからAMに変え、NHKに合わせる。
「えっ!? 何が起こってるの?」緊迫した様子を延々と伝えるアナウンサー…
僕はそこで初めて神戸で大変な事が起きている事を知るのです。
たしか8時くらいだったと思います。
僕は急いで引き返し、家路に向かいながら公衆電話を探しました。
当時まだ携帯電話はそれほど但馬では普及していなくて、
僕もまだ持っていなかったのです。15kmくらい走ったところで、
ようやく公衆電話を見つけ、家に電話しますが全く繋がらず…
その後も、見つけるたびに電話しますが、やはり繋がりません。
「とにかく家に帰ろう。家族が心配してるはず」、そう思って帰路を急ぎました。
あんなに家が遠いと感じた事はありませんでした。
約2時間かけて豊岡市までたどり着き、親しい友人宅で電話を借り、
ようやく家族と連絡が取れました。やはりかなり心配していました。
僕はその友人宅で初めて神戸の様子を映像で見たのです。
ショックのあまり、しばらくは動けませんでした。

動揺する心を抑えながら、我が家へたどり着いた時には、
もう10時半にもなっていました。
あの日、地震発生がもう2時間遅かったら…
僕自身も震災に巻き込まれていたでしょう。

「何としても神戸へ、そして炊き出しのボランティア活動を…」
そう考えるまでに時間は必要ありませんでした。
こうして僕は、震災発生後1週間もしないうちに神戸へと向かったのです。
崩れた道路、がれきの山となった住宅街、地下鉄構内へ陥没した道路、
暗闇の中に瓦礫の木材を燃やして暖をとる、毛布をすっぽり被った被災者が
黒くシルエットで浮かんでいます。

避難所で、温かいカニ雑炊を約400人分炊き出しをして
皆さんに配っていきました。
みんな目から大粒の涙をポロポロとこぼしながら、
「ありがとう」と言って食べて下さいました。
「頑張って復興して、またカニ食べにきてくださいね」、
そう言うのが精一杯でした。

忘れられない…これが僕の阪神淡路大震災の記憶です。

という訳で今日はここまで…次回をお楽しみに…