2016年は、色んなことがあった。
実際の出来事も私の内側での変化も。

わたしなんか…。

と自己否定していたことを勾玉セラピーを知って許せるようになった。
どんな人も理解できるような、
そんな人になったと感じた。
すごい人になったと感じた。
すごい人にならなければとおもった。
私はすごい人になれるんだとおもった。
すごい人になるには自由にならなきゃとおもった。
自由になるには家族を捨てなくてはとおもった。
捨てたいとおもった。
大切な人を裏切った。
私がまず幸せになっていい、やりたいようにやぬていいとおもった。
それをやることが私のため、人のため、地球のためだとおもった。
浮かれていた。

すぐそこにある、奇跡を当たり前のこととして軽くみて、そして、それはもう私にはそぐわない、いらないと捨てたいとおもった。
私が楽しければ、
私が幸せなら、
私がやりたいのなら。。。

私が、私が、私が。。。

大切なものを感じていなかった。
それを捨てることがいいことなんだと
それがゆるされることなんだと
それをするべきなんだと

どこを見ていたんだろう

自分の中に起きた不安という存在は
感情を感じないように、
全てを覆ってしまっているようだった

悲しいのか
さびしいのか
怒りなのか
喜びなのか
楽しさなのか
感謝なのか
ありがとうなのか
余計なお世話なのか
・・・・・?

何を感じているのか分からない。
不安なのだけはわかる。
不安だから
笑えない、
不安だから
感謝できない、
不安だから
悲しめない
不安だから
楽しく無い
・・・

不安が全てを覆いつくしているみたいだった

でも

覆いつくられていたと感じていたココロは
がんばって叫んでくれていた

きっと大きな声をだしてくれていたんだろう
でも
覆い尽くされていたとおもってたけと、
ちょっとだけ穴が開いてて
そこから声が漏れて聴こえてきたのかもしれない

まだ死んでないよ
動いてるよ
感じてるよ
気づいて
気づいて
気づいて
気づいて

漏れて聴こえてきた小さい声

それを聴こうとする「わたし」がいてくれた

「わたし」は助けてくれる人に導いてくれた

私はひとりぼっち、孤独、まわりにはわかってくれる人はいない、何ももうない

とおもってたけど、

「わたし」はそうじゃないと言い続けてくれて
少しづつ行動を促してくれた

人に会うこと
自分を感じること
信じること
見守ること
焦らないとこ
少し勇気をだすこと
・・・


心に響く、人からのメッセージを届けてくれた

自分が信じられないなら◯さんを信じている人を信じて

とか

家族なんだよ

とか

言葉を変えて。自分をいっぱい否定しているでしょ、自分で自分をいじめている言葉を

「いい経験してる」
に変えてあげて。

とか

ごめんなさいよりもありがとうが増えてくると
エネルギーが湧いてくるんだって、◯ちゃんのおかげで気づいたよ
でね、それはたぶん順番で、感謝に自分を無理矢理持っていくんじゃなくて、
わたしが悪いんだ、とか、あの人が悪いんだ、とか、ごめんなさい、ごめんなさい、とかを、やり尽くしたら自然に感謝が湧いてくるんだと思うの

そこに気づけたら。強いと思うんだ
時間をかけることを受け入れられた人は強いと思う

とか
・・・





悲しいや
さびしいや

ネガティブに想う感情も

感じられないで、
涙も流せないで、
いることが、

どれだけ辛く、苦しいことが
身をもって知ったよ。

すごく怖かった、
全てが不安に覆われて
何を感じているか分からなかった時。

他人だとおもっていた人が言ってくれた
「家族なんだよ」
って言葉で

安心
を得たとき

わたし悲しいんだと気づくことができて




悲しむことを許せた


そしたら一気に感情がもどってきてくれて


悲しみだけじゃなく

感謝も
ありがとうも
さびしいも


感じることができた


涙をいっぱい流すことができた

そして、

今、「わたし」は何を望んでいるのか

がわかった。