読者のみなちゃまご機嫌いかがん?アイザックだよーんドキドキ



近頃とーっても過ごしやすい気候が続いているフィレンツェ

なのねん。今ぐらいの感じで続いてくれると助かるんだけど

来月あたりから



酷暑太陽がやって来るビックリマーク



という噂をちらほら聞き早くもオビエ気味(((゜д゜;)))の

アイザックなのよ。



さておき本題ですが、今日はフィレンツェ大聖堂の裏側に

隠された3つめのエピソードで行ってみまっす☆



過去2つのエピソードを見逃してしまった方はこちらの

リンクからどぞ


 その1・・・白い大理石の謎


 その2・・・ダンテの石

 


ではまず今日のタイトルの説明からまいりましょう。

イタリア語が分かるみなちゃま、ここで言うCantoは歌や

声楽の意味の方じゃないわよ!



イタリア語には2種類のCantoがあってね



まずは



ラテン語のCantusから由来するCanto



こちらは歌の意味でー



もうひとつは



ギリシャ語のKanthòsから由来するCanto



今日のタイトルにあるCantoはこちらの意味で角とか隅など

他の言葉で言い換えるとAngoloと同じような意味なのね。



お次に説明しなくてはならないのがBischeriという言葉。

これ、もちろんBischeroの複数形なんですけどね・・・

トスカーナ在住の方は



この言葉にピンと来たひらめき電球

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!



のではないかな?



そうね、これトスカーナでは



ドジな人やマヌケな人を指す言葉



でね、より本来の正確な意味に近い使い方で説明

しちゃうと



ずる賢く振舞おうとしてしくじる人



をこう呼ぶのよ。



実はね、このBischeroという言葉がこういった意味で

使われるようになった理由がフィレンツェ大聖堂の裏に

隠されていたんだよビックリマーク



そんなわけで早速行ってみましたん☆


そうそうそう!-Bischeri1
いつものDuomo裏ららら~音譜



問題となるのは右の建物なんでございまするるる~音譜

てなわけでズーーーーーム虫メガネ


そうそうそう!-Bischeri2
見づげぢゃっだラブラブ!



現在の大聖堂Santa Maria del Fioreが建設される前は

同じ場所に別の古い大聖堂Santa Reparataがあったという

事実はみなちゃまご存知?



現在の大聖堂の建設をフィレンツェ市が決めたのは13世紀

終わりごろなんだけどね、当然古い大聖堂と比較したら

はるかに大きくなることは歴然としていたのね。つまりより広い

スペースが必要だったわけで、市はこの大聖堂建設にあたり

プロジェクトの敷地内にあった建物と土地を倒壊目的で全て

購入する事に決めたの。



こうして該当する建物と土地の持ち主たちには別の場所で

以前と同等の生活を送れるように土地を買ったり建物も

建てられるだけの十分な補償金が支払われたってわけ。



さて、この市からの申し出を唯一断った人たちがいてね

それが問題の



Bischeri(ビスケリ)家


※正確にはBischéri(ビスケーリ)



らしいのよ。このファミリーって当時は単に裕福だったという

だけでなく行政長官を何人も出した一家だったのよ。



賢い読者さんたちはビスケリ家の狙いが何かもうお分かりに

なったんじゃない?



当然



補償金の引き上げアップ



よね。こうしてフィレンツェ市とビスケリ家の間での商談(?)を

通した駆け引きが始まるのよ。大聖堂の建設工事が進めば

進むほどビスケリ家が所有する建物が邪魔になるから

フィレンツェ市側は補償金を引き上げざるを得なくなる・・・。



何度も引き上げられたにも関わらず



もっともっと♪(σ・∀・)σ



まだまだ(・_・ 三・_・)



と粘るビスケリ。



フィレンツェ市側のガマンも限界に達していた折のある夜の

ことよ。突然起きた謎の大きな火事メラメラ




ビスケリ家所有の建物は

一夜にして全て灰と化したドクロ



んですって・・・。偶然にしては出来すぎてるでしょ?

もちろん



誰かの策略( ̄ー☆



に決まってるよね。あんまり立ち退かないから強制退去

させるための最後の手段だったんでしょ?



こうして一瞬にして全ての財産を失ってしまったビスケリ家

だけど経済的に大打撃を受けただけでなく、その卑しい

品行は町中の話題となりそれ以降



Bischeriという言葉が現在の軽蔑的な

意味合いの形容詞として使われる



ようになってしまったのね。



そりゃあ自分達の苗字がそんな風に使われる地方で

生活するなんて耐えられなかったんでしょうね。その後

彼らはトスカーナから姿を消してエミリア・ロマーニャに

行ったみたいよ。



でもその2世紀後に彼らの子孫が再びトスカーナに戻って

来た事、そしてかつて先祖が失ったあの大聖堂裏に再び

住んだ事まで明らかになっているのよ∑(゚Д゚)



まぁそのときは



Guadagniっていう別の苗字になってた爆弾



らしいけどねにひひ



さすがにBischeriなんて苗字は

恥ずかしいよね('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)




今日の記事はここまででっす。また明日も見に来てねラブラブ





アナタの近くのGuadagniさん

もしかしたら彼らの子孫かも!?

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