翌日、由紀の病室に向う、病室に入るとそこには誰も居なかった、由紀が居たはずのベッドは綺麗に整えられている。
 呆然と病室の入口に立っていると後ろから看護婦に声を掛けられた、俺は看護婦に案内されて別の部屋へ向う。
 階段を2階降り、廊下を歩いて行く、少し進んだところで看護婦は立ち止まった、俺は看護婦が立ち止まっている前の部屋に入る。
 寂しい部屋だ、窓も無い、お線香の匂いがする、天井の蛍光灯が部屋を照らしているがその光は弱く部屋の隅は暗くて見えない。
 部屋の中央にはベッドの様な台が置いてあり、その後ろにロウソクが2本立ててある、ロウソクの間からお線香の煙が昇っていた。
 俺はゆっくりと台に近づく、台の上には人が寝かされていて顔には白い布が掛けてあった、その布をゆっくりとめくる、由紀だ。
 目を閉じたまま、ただ静かに眠っている様な由紀だ、布を顔の脇に置いてシーツをめくり、由紀の手を握る。
 昨日、日が暮れるまで繋いでいた時の様な温かさは無かった。
 それから先はあっと言う間だった気がする、何も考える事が出来なかったせいなのかもしれない。
 通夜、葬式、驚くほど軽い由紀の体を抱き上げ、棺に入れ花を添える、そして火葬場まで棺を運び、最後のお別れの時が来た。
 棺の窓を開けて覗き込む、棺の中で花に囲まれた由紀は、病室で見ていた時よりも一層白く見えた。
 だが真っ白な病室の中に居たときとは違い、様々な色の花に囲まれ、際立って綺麗に、そして幸せそうに見えた。
 俺は何も言わず黙って由紀の顔を見ていた、どれくらいそうしていただろう、佐々木さんに促されて棺から離れるまでずっと由紀を見ていた、やがて窓は閉じられ、棺はかまどの中へ運ばれてゆく。
 かまどから出てきた由紀は幾つかの欠片になっていた、たったさっき見た棺の中で花に囲まれていた時より更に真っ白な欠片に。
 協力してその欠片を箸で持ち上げて壷に納めてゆく、全ての欠片を壷に納めると俺は壷を抱き上げた。
 病室で背中を拭く為にそうした時より、棺に納める為にそうした時より、それらよりもはるかに由紀は軽くなっていた。
 それからしばらくは誰とも話さず、河川敷に車を停めその中で過ごした。
 何も考えず、ただ川を眺めている、いや、考えるつもりが無くても、様々な思いは湧き出してくるが、それを受け止めるモノがナイ為、それらの思いは溢れ出してはどこかへ流れて消えていってしまい何も残らない。
 口を開いたのは埋葬の日だった、由紀が入った壷を由紀の両親が眠る墓に納める、その様子を黙って見ていると佐々木さんに声を掛けられた。
「大丈夫か?」
 よほどひどい顔をしていたのだろうか、心配そうな顔で佐々木さんは俺の顔を覗き込んでいた。
「あまり大丈夫じゃないかも知れませんね」
 俺は精一杯、振り絞るようにして笑うと答えた、その様子を見て佐々木さんは封筒をポケットから取り出し、俺に渡して言った。
「由紀から預かっていた物だ、受け取ったのは1年位前で、こうなったらお前に渡してくれと頼まれててな、だけど、ほら、病室で会った日、覚えてるだろ? あの時にもうこの手紙は渡さなくていいと言われてたから迷ってたんだが、やっぱりお前に渡しとくべきだと思ってな」
「ありがとうございます、失礼します」
 そう言って車に戻り、いつも車を停めている河川敷に向う、河川敷に車を停め、エンジンを切ると俺は受け取った封筒を開いた。
 封筒の中を見ると綺麗に折畳んである一枚の紙が入っていた、その紙を取り出して広げる。
「大樹へ、この手紙を読んでるって事は私はもうお話出来ない状態になってると思う、だからそうなる前に伝えたい事は全部この手紙に書きます。」
「まず、何も言わない私を信じて約束してくれてありがとう、そしてごめんなさい、約束を守れなくて。」
「でも、大樹が約束してくれたおかげで、私は毎日強く生きる事ができた、それだけでありがとう。」
「でも、この手紙を読んでるって事は私がその約束を破ってしまった、本当にごめんなさい。」
「こんな事を書くとぐちっぽくなると思うけど、伝えたい事は全部書くつもりなので書きます。」
「何も言わなかったのは大樹に心配を掛けたくなかったからだけじゃないよ、それも少しあるけど本当は病気を克服したかったから、きっと病気の事を言ったら大樹はずっと一緒に居てくれると思う。」
「でも、そうしたら私はそれだけで満足しちゃうと思うから一人で病気に立ち向かうつもりです。」
「大樹が遠くに行っちゃうのは寂しい、でも一緒に居るだけじゃなくて、大樹の為に毎日ご飯を作って、一緒に街に行って、映画を観て、その後はウィンドウショッピングもして、一緒にお風呂になんか入ったりもしたい、遊園地なんかも行きたい、だからその気持ちを持ち続ける為に一人で病気と向き合います。」
「だから何も言わなかった事は許して欲しい。」
「大樹に会わなかったら、自分が病気である事を悲しむばかりで、向き合う気持ちにはなれなかったと思う。」
「本当にありがとう、そしてさようなら、由紀」
 読み終わっても大樹は動かなかった、握り締めたままの手紙に涙がぽたぽたとこぼれ落ちる、それは大樹の頭の中で湧き上がっていた思いが全て目から溢れ出しているかのようだった。
 溢れ出した思いは消え去らずに、雫となって大樹の目からこぼれ落ちる、そしてそれを由紀の手紙が受け止めていた。
 大樹はこの時初めて気付いた、ずっと自分が由紀を支えていると、そしてこれからも支えていこうと思っていた、だが、それ以上に自分は由紀に支えられていた、包み込むように受け止められていた事に。
 助手席に手紙を置くと大樹は車を走らせていた、何処かに向っていた訳ではない、失った人の大きさに気付き、何もしないで居ると、押し潰されそうになる、その苦しさから逃れる為、ただ車を走らせた。
 いつの間にか車は山道に入っていた、幼少の頃、よく児童養護施設の職員である佐々木に連れてきてもらっていた山だ。
 暗い山道を一台の車が進んで行く、道はとっくに車が通るような道では無くなっていて、段差を乗り越える度に車が跳ね上がる。
「ドスン!」
 一際大きな衝撃と共に車が止まった、大樹は車から降りると山道を歩き出した。