男は車を走らせていた、恋人に会う為、約2年ぶりの帰郷である、だが男の気持ちはちっとも楽しくはなかった。
 なぜなら向っている先は病院だったからだ。
 車を走らせている男の名前は加藤大樹、この名前は親が付けたものではない、大樹は所謂、捨て子だったからだ。
 1歳位の頃だろうか、田舎の施設の入口の前に手紙と一緒に置いてあったらしい、その手紙には。
「理由はお話できませんがこの子を私が育てる事はできません、名前もありません、どうぞよろしくお願いします。」
 とだけ書かれていたそうだ。
 大樹は傍目から見れば不幸な生い立ちかもしれないが、自分自身、全くそうは思っていなかった。
 顔も知らない親を恨む事が出来る訳もなく、ニュースやなんかでやっている少年犯罪や、事故、病気、海外では戦争や内戦で死んでゆく子供達も居る、それと比べれば自分は恵まれた境遇だとすら思えた。
 比較する対象が無かった為、当然と言えば当然の事ではあるが、施設での生活は悪いものではなく、職員の人も良くしてくれたし、同じ様な境遇で施設に居る子供達とも仲良くやっていた。
 今、会いに向っている恋人の東郷由紀と出会ったのもその施設で暮らしていた時の事だった。
 由紀は、大樹の様に赤ん坊の頃から施設に居た訳ではなく、施設に来たのは小学校の低学年の頃だっただろうか、聞いた話によると、両親とも病死、他の親族もすでに他界しており、施設に預けられる事になったのだという。
 両親の影響かは分からないが、由紀自身も見るからに色白で病弱だった、実際に施設や学校で何度か倒れたりしており、よく保健室に運ばれていた。
 大樹は幼少の頃から困っている人を放っておける性分ではなく、そんな由紀を常に気にかけていた。
 小学校を卒業し、中学生になる頃には毎日一緒に登下校するようになっていた、学年は一緒だったが、クラスは違っており、毎日学校が終わると校門の前で待ち合わせて一緒に帰るのだ。
 流石に毎日一緒に居ると周りからひやかされる事はしょっちゅうだったが、悪い気はしなかった。
 実際に由紀の事を好きだったし、由紀もそんなひやかしを気にする様子は無く、俺を頼ってくれている。
 そう思うと施設で育った境遇を悲観するどころか、由紀に出会えた事に感謝したいくらいの気持ちになれた。
 互いに施設で生活している為、お金の掛かる部活動や遊びはする事が無く、学校以外は殆どの時間を施設の中で一緒に過ごした。
 施設の中でも俺は由紀の保護者の様に接していた。
「病弱で身寄りも居ない、俺が由紀を一生支えて行く」
 そういうつもりだった。
 そんな様子を見てか、施設の職員の人からも由紀の事に関しては信頼されており、由紀が病院に行くときには同行する様に言われ、由紀の事で何かあった時は俺にも一報が入るようになっていた。
 高校2年生の頃、その頃はもう別々に生活していたが、授業中に由紀が倒れたと連絡が入った。
 俺は慌てて連絡のあった病院に向う、病室に入ると真っ白な部屋の中にあるベッドの上に由紀は居た、俺に気付くと由紀は笑いながら言った。
「ごめんね、心配かけちゃって」
 頭に巻いた包帯が痛々しく見えたが、それ以上に病室に差し込む光に照らされた由紀の笑顔を見て安らぐような気持ちだった。
「先生も大げさなんだよ、転んだ時にちょっと擦りむいただけだからこんな包帯なんて要らないのに」
 そう言いながら由紀は頭に巻いてある包帯を邪魔臭そうに弄った。
「はは、しょうがないよ、由紀は弱いからなぁ」
 俺も笑いながら応える、その日は面会時間が終わって外が暗くなるまで病室で話して過ごした。
 中学校を卒業してからはこうしてゆっくり話す事も無かった為、倒れた由紀は心配だったが、久しぶりに由紀と過ごす時間は楽しかった。
 高校を卒業する頃、有名な大学への推薦の話もあったが、俺は少しでも早く自立し、由紀と二人で暮したかった為、就職の道を選んだ。
 当時は就職氷河期とも言われ、有名大学卒業生ですら就職先が見つからないような状態だったが、人一倍優秀だった成績が評価され、奇跡的に東京の一流企業と呼べる会社の内定を貰った。
 俺は就職が決まった事をまっさきに由紀に報告した、上京して一緒に暮したい、そう伝えたが返ってきた答えは意外なものだった。
「ごめんなさい、今は一緒に行けないの」
 自分の耳を疑った、俺が口を開こうとすると由紀は慌てて言い足した。
「でも、でも、絶対いつかは一緒に暮す! だけど今は無理なの」
 由紀はそう言うと俯いてしまった、俺は俯いたままの由紀に上京するのが無理ならこっちの就職先を探そうか、とも言ったが由紀はただ首を振って。
「駄目、大樹は今決まった所に就職して、いつか絶対一緒に暮せるから」
 そう繰り返すだけだった。
 由紀とは小学校からの付き合いで、隠し事や互いに知らない事は無いと言っていい程の仲だ、今までもその時は言えないという事は多々あったが、しばらくすれば笑って話せるような事ばかりだった。
 俺は俯いたままの由紀の肩に手を当てて言った。
「わかった、理由は言いたくないなら聞かない、でもいつか絶対一緒に暮す、これだけは約束してくれ」
 それを聞くと由紀は小さくうなずいた。
 由紀と直接話したのはそれが最後だった、上京してからも電話で話していたが、あまり夜まで声を出して話せない所で暮しているというので、メールでやり取りする事が多くなった。
 上京してからの俺の生活はそれまで程楽しいものではなかった。
 仕事は同期で入社した大学生と比べても、それ以上にこなしていたが、何か問題がある度に、社交性の欠如やら、協調性、一般常識が無い等、自身の境遇を理由に批判を受ける、それがたまらなく辛かった。
 だが、由紀と約束した一緒に暮らすという目標があったのでそれを思い出すだけで頑張れた。
 施設で生活していた頃、山が好きな職員が居て、その人によく連れて行ってもらった事を思い出し、休日は近くの山まで行って野草を取ったり、綺麗な風景があったらそれを写真にとったりして由紀に送る。
 そして送った写真の事を話したり、由紀は体が弱いから一緒に住む時には東京じゃなく田舎に住んだほうがいいだろうか、そんな事を話したりしていた。
 いつか必ず来ると信じている由紀と暮す日々、それだけを糧に不慣れな東京で生活していたがそれも長くは続かなかった。
 上京して2年と少し過ぎた頃、 仕事が終わる時間には由紀は電話できない為、いつもの様に会社を出るところでメールをする、メールなので直ぐに返ってこない事は今までも時々あったがその日は違った。
 地下鉄を乗り継ぎ、自宅の最寄り駅に着いてもメールは返ってきてはいなかった、自宅まで歩き、鍵を開けて中に入る、シャワーを浴びて携帯電話を確認するがまだメールは返ってきていない。
 流石に不安になり電話を掛けてみるが、電波が届かないか電源が入っていない旨を告げるアナウンスが流れるだけだった。
 翌朝、起き上がって直ぐ、僅かに期待しながら携帯電話を見たがやはりメールは返ってきていなかった、それでもいつも通りこれから会社へ向かう事を伝えるメールを送る、当然返事は無い。
 今日は金曜日だ、仕事を定時で切り上げて田舎へ向かえば明日の昼過ぎには着く、そう思って職場の机に付いた。
 昼の休憩も取らずにいつも以上にハイペースで仕事をこなす、後2時間程で定時業務終了というところで会社に大樹宛の電話が掛かってきた。
「加藤さん、お電話です、佐々木様から」
「えっと、どこの佐々木さん?」
 いつもはこんな返し方はしないのだが、今日は急いでいた為なるべく用事は受けたくなかった、電話を取ったのは新人の女性だが、何故か言い辛そうにわざわざ俺の机の所まで来て小声で言った。
「あの、児童養護施設の佐々木とおっしゃっていましたが」
 思い出した、中学校まで居た施設の職員だった佐々木さんだ、昔よく一緒に山登りに行った。
「ありがとう」
 電話を取ってくれた女性にそう告げると俺は電話を取った、会釈をする女性に軽く手を振って応え、電話に向かって言う。
「もしもし?」
「えっと、加藤君?加藤大樹」
「はい、佐々木さん? ですよね」
 俺は確認する様にそっと言った。
「おぉ、そうだ、久しぶり」
「お久しぶりです」
 電話の向こうの佐々木さんは記憶の通りの印象だった、大柄で身振り手振りが大きく、太いが優しい声をしている、施設の職員には皆お世話になったが、その中でもよく話したり、小さい頃は遊んでくれたりしたのはこの佐々木さんだった。
「すまんなぁ仕事中」
「いえ、私もちょうど聞きたい事がありますし」
「ああ、東郷、由紀さんの事か?」
「そうです、やっぱり何かあったんですか?」
 俺は鼓動が早くなるのを感じた。
「本人からも口止めされていたし、言おうか言うまいか迷っていたんだがな、やっぱり、って事は由紀とは連絡取っていたのか?」
「ええ、電話だけですが」
「まぁそれならいつかは気付いていただろうな」
「あの、何があったんですか?」
 俺は焦って聞く。
「ああ、すまん、場所だけ教えるから後は本人から聞いてくれ、場所は……」
 佐々木さんが口にした場所は病院だった、高校2年生の時に由紀が運び込まれた時と同じ病院。