思い出した願望を満たしてきたので、忘れない様に日記を付けたいと思います。
男の子だったら、幼いころは恐竜に夢中なるもの。
どの家庭にも恐竜図鑑や恐竜のゴムの模型ぐらいあっただろう。
小学生の頃に科学雑誌で目にした『恐竜の生き残り、地上最大の肉食爬虫類、コモドドラゴン』に興奮したものだ。
長い間忘れていたが、シンガポールに赴任後、NHKの番組でコモドドラゴンを紹介した番組を見て、幼い頃の好奇心が再燃。
バリ島から一時間強でコモド島の近くのLabuan Bajoという島まで行けるらしい。
調べて行くと、バリ島からのフライとホテルも込みツアーに申し込むと、700米ドルくらい。
ラブアン島からの一泊二日(船中泊)ツアーをネットから事前に申し込むもと200ドル弱。
バリからの国内線チケット+宿が500ドルするはずもなく、色々ウェブで調べた結果、ひとまず現地まで行き、旅行代理店でツアーを探すことにする…。
しかしこの判断に少し後悔することになる。
無事にラブアン島に到着し、ホテルにチェックインした後にツアー予約の為にレセプションでオススメエージェントを尋ねたところ。
“ボートは持ってるのか?”
持ってる訳ないだろお。
ボートを個人で貸し切る必要があるか?と焦っていると、ちょうどさっきまで目の前でチェックインを済ませていたインドネシア人女性グループに、
“二泊三日のツアーを組んでいるから一緒に加わるか?一泊二日希望?お前だけ二日目にこの島に戻せるか船長に聞いてみる”
いや、無理だと思う、というセリフを飲み込んで小一時間待ってみたが、やはり無理だった。
仕方がないので、一泊二日コモド島ツアーを探しに町に繰り出す。
二軒エージェントを訪ねて、二連敗。
金曜日の夜に、土日のツアーは空いてませんよね、普通…。
日帰りツアーには空きはあるものの、今度は日帰りした後の宿がない…。
辺りは暗くなってきて、少し焦る。
三軒目に訪れたノリノリの小柄なオッサン、マルティンが経営する今回世話になったエージェント。
これまでのエージェントは一泊二日希望と伝えると、自前のボートなのか、空きなし、と即答。
しかしこのオッサン、仲介業に特化しているのか、次々と仲間のボートに電話掛けまくり、5,6件目には空きのあるボートを見つけ出し、無事にツアー予約完了。
結局、代金は100万ルピア、80ドル程度で済んだ。
翌日、オッサンに案内されて港にいくと、他のツアー参加者は36歳男性、30歳のカップル、全員フランス人でボンジュール。
道中仕事を尋ねられたので、無難に答え、相手にも同様に尋ねてみたが、“現在は無職、三カ月程前に仕事辞めて、東南アジアを周遊中。フランス戻ったら仕事探さないと…”、とのお気楽回答。
人生の楽しみ方はプロフェッショナルですね、この辺は日本のサラリーマンも見習いたいところ。
漁船を改造したお世辞にも綺麗とは言えない船でクルージング。
リンチャ島、コモド島、どちらの島にもコモドドラゴン自然公園がある。
しかしこの時期のドラゴン、かなりやる気なく、人間の食事の匂いにつられ、食堂の近所に集まって来て動かない。
同行のレンジャー曰く、“既に狩りが終わり、胃袋が満たされてるドラゴンは、いつもこんな感じ、もう滅多に動かない。これからのトレッキングでは、もうドラゴンに遭遇しないかもしれないから写真よく撮っておいて”。
若干拍子抜けだが、確かに30歳超えの大人のドラゴンは確かに馬鹿デカく、動物園では体験出来ない近距離で見ることが出来た。
やる気のないドラゴンばかりのツアーが終わりにさしかかったころ、遠くビールで動く蠢く黒いデカい影を発見。
単独先行。
ようやく動くドラゴンを目の当たりにすることが出来た。
確かにやる気のないドラゴンたちとは違い、胃袋がまだ膨れてない。
近くにいたレンジャーは、メシの前っぽいから、あまり近付くな、と警告。
動くドラゴンに会えて、満足のまま、初日は終わり。
フランス人はサイコロやるか?と誘ってきたけど、眠いから寝るわ、と先に寝る。
その後は四人で川の字。
こういうとき必要以上に絡んでこない欧州人、非常に助かる。
二日目は色々なポイントでシュノーケリング。
生でマンタや1m超えの海亀も見れて、柄にもなく感動する。
足ヒレは色々移動に不便。例えば、足ヒレ付けてると平泳ぎ出来なくことは20年前から知ってる。
この旅では、水泳の才能を授けてくれた両親に感謝したくなった。
相変わらず大満足のままツアーは終了。
流石バカンスのプロ、妥協がない。
そんなこんなで、帰国の日、マルティンオッサンの原チャリにニケツで空港で送ってもらったのだった。