いつもたくぼーを応援してくれてありがとうございます。たくぼーからブログ頼まれたけど、使い方良く分からず、ちゃんと書けるかな?

 たくぼーの地元は札幌から南へ約200km,
私の地元は札幌から北へ約160km,
合計360kmの遠距離。
そして、私の方がちょっと、いや割と年上だけど、たくぼーの猛アタックでお付き合いが始まりました。

 私は乳がんの手術を受け、現在休職して放射線治療中です。地元では受けられないので、札幌のたくぼーとは別の病院で、コロナ第六波の中、安く泊まれるホテルを利用しながら通院してます。

 でも、この放射線治療のおかげで札幌にいた私は
、災害級の大雪の中札幌へ救急搬送され、念願だったオブジーボとヤーボイの点滴を受け、苦しいのに泣き言ひとつ言わず、親切にしてくれた看護師さんに感謝し、私の手を握って「距離なんて関係ないね」と微笑み、オレンジジュースを美味しそうに少しだけ飲み、次の日の朝、静かに旅立って行ったたくぼーの近くにいることができました。

 今日が初七日です。
もう、おはようやおやすみのラインも来ません。
たくぼーはいつも穏やかで、周囲の人への気配りを忘れず、私にはもったいないくらい優しい人でした。花も動物も大好きでした。

 たくぼーのご家族のご好意で地元まで連れてってもらい、たくぼーの家に泊まりました。アマゾンから荷物が届いてました。それは、ちっち😺の大好物の貝柱30袋。
初日クールだったちっちも、変なオバサンがたくぼーの部屋で泣いてるのをおかしく思ったのか、2日目は一晩中鳴きながらたくぼーを探してヨチヨチ歩いていました。もうすぐ18歳のちっちの世話は、たくぼーのお店の店長さんが引き受けてくれました。

 私はたくぼーの納棺まで参列させていただき、バスで札幌まで帰ってきました。遺影は、たくぼーの一番最初のブログの二人の写真を使っていただきました。たくぼーとえりも岬に行った時のものです。ふたりとも笑顔で幸せだった。叶うものならこの日に戻りたいです。

 支離滅裂で上手くご報告できずに申し訳ありません。たくぼーは本当に最期までがんばって病気と戦いました。カッコいい人でした。
希少がんで情報も少なく、このブログを良く読んでいたようです。いつもブログでたくぼーを励ましてくださったみなさま、本当にありがとうございました。すべてのがんが寛解できる日が来るのを私自身もがん患者として願っています。
病気や困難を乗り越えて、みなさまに穏やかな日常が続くことを祈ってます。

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