わたしとは恋愛関係にない、ある男性のことを時々思い出すのです。その人は私の故郷に在住しています。もう数年連絡もないので、いまどこで何をしているか最新情報を持っているわけではありません。

 

そこで、この文章を書いている最中にふと思い立ってSNSを検索してみるといらっしゃいました。しっかり本名でお顔も出されていました。あまり発信はされていないようです。別に遡ってなにをしていたのか知りたいわけではないので、とりあえずご存命出あることだけを確認し、そのページからは離れました。

 

その人を思い出す理由は、私の中のとても醜いものに起因します。つまり、私よりも「ちゃんとした人生を歩んでいない」比較対象として思いだし、今の自分はその人よりもまだちゃんとしている、、、と自分の立ち位置を確認して安心したいのです。(醜いですね、本当に)

 

この醜い心理をリアル世界では誰にも話したことはありませんし、もちろん当人にそうと感じさせるような態度をとったこともありません。私はつねにその人の下風にいて、「へぇ、そうなんですか。すごいですね。」という姿勢を崩しません。その人は自分のことを話すけど、私はほとんど自分のことを話さないから、私のポジションをその人は把握していません。

 

その人の話はいろんな意味で勉強になります。あらゆる話がちょっとずつずれていて、正確性に欠き、現実的でないのです。その人に恋する女の子ならそんなとんちんかんな話にも微笑んで相づちを打ってくれるかも知れませんが、私のような人間にはデタラメばかりの与太話としか聞こえないのです。よくこんな思考で社会を渡っていけるものだと、感心します。それでも何かひとつくらいは得るものはないかと真摯に聞くので、その人はますます気持ちよく語ってくれます。

 

その人は私の知る限り定職に就いていません。それでその年までどうやって生きてきたのか、月間収支はどうなのか、貯金はあるのか、将来のことを考えているのか、興味は尽きません。

 

「お久しぶり。お元気ですか?」

 

と、一本連絡を入れてみたい衝動に駆られますが、なにか誤解をされたり、変に頼られたりするのが怖いので、想像に留めています。

 

 

こんなことでしか自分の立ち位置を確認できない私もどうかと思いますが。。