ぐだぐだとネガティブなことをネット上に垂れ流していても何の得にもならないことがやっとわかったので、小説の形にしてまとめています。
これもまた、宝くじより少しましな運動の一環です。

うちに帰って文章をまとめようと、PCの前に座ります。
まずはメインで使っているGMailの確認。バトスピSNSを確認したらTwitterとFacebookの確認。Facebookで面白そうな記事があるとついつい覗いてしまいます。
Android Development Centerでアプリのダウンロード状況を確認するのも日課になっています。
それでも気持ちが乗らないと、死にアカウントで広告しか来ないYahooのアカウントの確認をします。
するとなんだかGMailが気になって再確認。今しがたチェックしたばかりなのでそうそう新しいメールが来ているわけではないのですが、それでもたまにはさっき出したメールの返事が来ていたりします。
すると次はTwitter。こちらはほっとくとどんどん書き込みが増えていきます。くだらない挨拶や愚痴がほとんどとわかっていても、未読が増えていくのは不安です。
ちびくろさんぼのようにぐるぐる回っているうちに夜が更けていきます。

これがネット依存症なんだと気が付いたのはつい最近です。
こうやっていったい何千時間をPCに吸い取られていったのでしょう。考えたら怖くって夜も寝られなくなってしまいます。
齢50を超える私の老い先短い時間でさえこれほど惜しいのです。
人生始まったばかりの若い子供たちの時間がネットワークのかなたにどぶどぶ流れ出ていっているのかと思うと居たたまれません。

そういえば外資系の会社で働いていた時、海外拠点とメールを中心に仕事をしていました。物理的に言うと、PCの前に座って一日メールを書き続けているのが仕事でした。一本メールを書いている間にほかの件のメールが入って、書いても書いても追いつかない生活でした。
リストラされて会社のメールアドレスを失った時。家にいて、なにをしていいのかわからずに個人のメールボックスをずーっとみていたのを思い出しました。
メール駆動の仕事がいかに楽だったか、自分の意志でなにかをするのがどんなにつらいか、身に染みたのを思い出しました。

いつの間にかまた、情報駆動の受身な生き方に慣れてしまっていたようです。
気持ちを入れ替えて、自分の足で自分の行きたい方向に歩いて行かなければ。
人生はまだ始まって50年しか経っていないんだから。
人類4000年の歴史に恥ずかしいわ。