こぞうをDJのイベントに突っ込むために表参道のApple Storeに行きました。
私にとってDJ、表参道、アップルは吸血鬼のニンニク、十字架、太陽くらい苦手なものぞろい、手筈を整えたのはひめです。

実際、表参道をぶらっと歩いて共感できるものといったらBig Issue売ってるホームレスのおっさんくらいでした。


こんなことでもなければ一生足を踏み入れることなんてなかっただろうApple Store。
やたらとこぎれいな店内のショーケースに宝石のように陳列されているのは話題のアップルウォッチ。
全面ガラス張りの店内のざっと半分がアップルウォッチで、のこりをiPhoneとiPad、Mac Bookがわけあってます。
そして、店内を誇らしげに飛び舞っているおそろいのTシャツの店員さん達。

銀座の一等地に店舗を構えて、今をときめく最新デバイスを宝物のように並べて高級感を煽るのはアップルのブランド戦略なんでしょうが、本当に申し訳ないけど君たちが売ってるそれ、ただの携帯電話だからね。

街角の八百屋だって数百種類の品物をそろえて季節毎に手を変え品を変え売ってるのに、一社独占で作ってる応用の利かない偏屈な一種類の機械を売る仕事で君たちにどんなスキルが身に着くのかな。
生き馬の目を抜くIT業界で、今隆盛を極めているデバイスが10年後も同じ価値を持ってるなんてことはないでしょう。
君たちの子供が大学に行くころ、君たちはまだ銀座の一等地でTシャツ着て接客してると思ってるのかな。
お店の裏ではみんな経理や情報科学の勉強してるなら、私の杞憂で済むんだけど。
他人事ながら心配になりました。


認めなきゃいけないんですが、どうやら私はキャリア計画に失敗したみたいです。
小生意気に計画を立てて好きでもないことをするより、その時一番情熱がかけられることをやっていればそれが一番身について明日につながっていくはず、と思って生きてきたのですが、社会ってやっぱりそういうものじゃないみたい。

50まで馬鹿みたいにひとつのことをしていれば大抵のことは芸術になる。
ストーリーを描いてステップアップしていけばそれがキャリアになる。
漫画書いて、芝居してからゲーム作るようになって、清掃員経て先行開発と品質保証やって、開発からオフショアマネジメントに移って顧客担当してからまた開発に戻って、その時一番好きなこと、できることをしてきて、普通のサラリーマンじゃ体験しきれないことをあれもこれもやってきた結果の評価はなにやっても中途半端。
全部好きでやってきたことだから後悔はしてないけれど、結果何一つ評価されないのは正直さびしいです。


じゃあ、そろいのTシャツ着てたったひとつの商品売る仕事に次のステップってあるのかな、それとも50になって何も残ってない自分に気がついても悔いがないくらい充実した仕事なのかな。